Yaffee's Whisky Blog

ウイスキー文化研究所認定ウイスキーレクチャラーで2020年TWSC審査員の料理人・安井がウイスキー、フードに関する情報、知識、たまにテイスティングコメントなど気ままに発信していきます。 ウイスキーを知って、呑むことをより楽しみましょう!

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壮絶で奥深いラム酒の世界 NO.1歴史~ラムの誕生~

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ラムカスクウイスキーボトラーズがラムをリリースなど、ウイスキーを知っていくとよく出てくるようになるラム。ラムの歴史は知れば知るほど、世界史と密に関係してくる壮絶で奥深いものだった。

 

もともとラムは砂糖の副産物として生み出された蒸留酒で、ラムの歴史を知るためには、まず砂糖の歴史から紐解かないといけない。

 

・製糖技術の広がり

 

インドから、イスラム教徒により伝播されたサトウキビの栽培方法や製糖技術は、十字軍の遠征をきっかけとしてヨーロッパへと伝播した。その後地中海でサトウキビの栽培と製糖業が開始したが、地中海域はサトウキビの育成に必要な降雨量と日照時間が足りず、砂糖の大量生産が見込めなかった。

15世紀、羅針盤の発明などにより航海術が向上してからは、まずポルトガルエンリケ航海王子が、アフリカ西岸のマディラ諸島に入植し、一大砂糖のプランテーションを建設し成功を収める。ポルトガルの成功を見たスペインはカナリア諸島に同じように砂糖プランテーションを築き、莫大な利益を上げた。

 

コロンブスの新大陸発見

 

ここで世界史でもお馴染みのコロンブスによる新大陸発見が、その後に影響してくることとなる。ジェノバの船乗りコロンブスは、地球球体説を受けて大西洋縦断を計画する。大陸のはるか東にある希少なスパイス類が豊富なインドや黄金境として知られていた日本、中国へは大西洋を西へ西へと進めばたどり着けると信じていた。61日の航海の末、ハバナ諸島のグアナハニ島(現ワトリング島)に到着し、サン・サルバドル(聖救世主)と名付けた。

その後、キューバイスパニョーラ島(現ハイチとドミニカ共和国)にも上陸した。彼はキューバについたとき、島ではなく中国大陸の一端だと思い込んでしまった。現在でもキューバ東部をオリエント地方というのはその名残である。「西インド諸島」がカリブ海の島々を表す言葉となったのも、コロンブスがカリブの島々をインドだと思い込み、そこをインディアス、住民をインディオと呼んだからである。

コロンブスは2回目の航海の時にカナリア諸島産のサトウキビの苗をエスパニョーラ等へ運び移植した。今の風景からは信じられないが、コロンブスがサトウキビを持ち込むまでカリブ及び、中南米には1本たりともサトウキビは存在しなかった

それ以外にもヨーロッパから小麦、コーヒー、オレンジなど様々な商品が新大陸に持ち込まれ、反対に新大陸からたばこ、トマト、トウガラシ、ジャガイモ、カボチャなど蛾ヨーロッパに持ち込まれ、お互いに食生活や生活習慣を一新させることとなった。コロンブスは新大陸を発見したものの、その土地は1499年に到達したアメリゴ・ヴェスプッチに由来するアメリカと命名され、19世紀初頭までコロンビアにちなんだ国名はなかったが、コロンビアは現代までの500年間にわたる新大陸の経済、政治、文化に大きく影響した製糖技術の基礎を作ったということで、時代の流れを変えた人物であった。

 

・トリデシリャス条約

 

 

ポルトガルとスペインは新大陸で熾烈な領土争いを繰り広げていた。それが深刻な問題となったためにローマ教皇アレクサンデル6世が領土統括の条約トリデシリャス条約を発令する。簡単に言えば、発見された新大陸のうち赤い線の西側の陸地はスペインのもの、東側の陸地はポルトガルのものというかなり大雑把で身勝手な区分けがなされた。これにより、イギリスやフランス、オランダなど他のヨーロッパ諸国はこの領土分割に参入できなくなり、中南米はブラジルの一部を除いて、すべてスペイン領となった。現在でも中南米の国の中でブラジルだけポルトガル語なのはこの条約があったからである。このことに何の相談もなく定められたほかのヨーロッパ諸国は文句をつけ始めるようになる。

 

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トリデシリャス条約

三角貿易へ、そしてラムの誕生へ

 

トリデシリャス条約で出遅れてしまった反スペイン諸国(イギリス、フランスなど)は、スペインが新大陸からの恩恵を独り占めしていた現状をただ眺めているわけにはいかなかった。そこで反スペイン諸国は、金銀財宝を積んだスペイン船団を襲撃することから活動し始める。ここで暗躍したのが海賊たち である。彼らはスペイン船団やスペインの植民地を次々と襲い略奪していった。1588年のアルマダ海戦でスペインの無敵艦隊が壊滅したことを機に、スペインはカリブ海の主導権を完全に失うこととなる。海賊にちなんだラムが多いのはこういった背景があったからである。

その後、反スペイン諸国は疫病や金銀の取れず過疎化したカリブ海の島々から植民地化を始める。もともと反スペイン諸国は初めから砂糖の大量生産を目的に植民地化したため、占領した地域を一面サトウキビ畑に変えていった

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- derived from File:Slaveshipposter.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる

大規模なプランテーションを作るためには、多大な労働力が必要となり、アフリカから大量の奴隷が連れてこられ、カリブの島々のプランテーションで働かされることとなる(奴隷貿易)。そこで造られた砂糖がヨーロッパに運ばれ、捕虜の確保などのために武器がアフリカに運ばれ、また捕虜となった奴隷をカリブの国々に運ぶという三角貿易が出来上がる。これにより、ヨーロッパは莫大な利益を上げた一方で、カリブと西アフリカは、人的資源やもともとの文化を根こそぎ奪われ、現在まで政情不和や経済的な偏りによる貧困が続いている。

大量に作られるようになった砂糖の副産物として結晶化しない蜜糖(モラセス)が大量にできることとなった。この蜜糖(モラセス)を使って蒸留酒のラムが造られることとなったが、当時のラムはかなり雑味が強く荒々しい酒だったため、ヨーロッパの人々には飲まれることなく、奴隷たちに命令を聞かせる目的 として配給されていた。

 

 

 

 

次回「現在のラムとなるまで」を書きます。

 

 

より詳しく知りたい方はこちらの本をご覧ください。


ラム酒大全 定番銘柄100本の全知識 [ 日本ラム協会 ]