Yaffee's Whisky Blog

ウイスキー文化研究所認定ウイスキーレクチャラーで2020年TWSC審査員の料理人・安井がウイスキー、フードに関する情報、知識、たまにテイスティングコメントなど気ままに発信していきます。 ウイスキーを知って、呑むことをより楽しみましょう!

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壮絶で奥深いラム酒の世界 NO.1歴史~今日のラムまで~

 

 

前回ラムの誕生まで書かせていただいたが、今回は今日のラムになるまでを書いていく。

 

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・船乗りとラム

 

前回の記事のように奴隷のアメとムチのアメとして短期間で広まったラムは、それ以外にラムが壊血病の特効薬として信じられていた。壊血病とはビタミンC欠乏症による出血性の症状が出て、最悪の場合、死に至る病気のこと。当時大西洋を横断していた船乗りたちがよくかかり、ひどいときは乗組員の1/3が亡くなったといわれている。ではなぜ単なる蒸留酒のラムが特効薬と考えられていたのかというと、当時のラムは荒々しく、そのままでは飲めないものだったためライムジュースの砂糖を加えて口当たりのいいラム・パンチにして飲まれていた。実際にはこのライムジュースが効いていたのだが、近年までラム自体が聞いているのだと信じられていた。イギリスでは1731年には海軍全員にラムを支給する規則を設ける。この名残が残るラムは数々あるが、一番有名なものは、パッサーズ・ラムだろう。

 


ラム パッサーズ ブリティッシュ ネイビー ラム 40度 700ml (73-9)(73763) スピリッツ rum

この支給は1970年7月30日イギリスでラムの支給廃止の日(ブラック・トット・デイ)まで続いた。こうして船乗りに欠かせない飲み物となったラムは、商船や海賊船、海軍などすべての船とその船が寄港する港に酒場などにも置かれるようになった。

・ラムの品質向上

 

こうして奴隷のアメや船乗りの薬として広まっていたラムだが、1693年大きな機転が訪れる。この年マルティニークドミニコ会修道士ジャン・バチスト・ラバが来ることになる。修道僧でありながら美食家としての有名だった彼はフランス本土からコニャックの蒸留機を持ち込み、ラムの作り方をコニャックと同様に行うようにした。結果、現在のラムに近い品質まで向上し、砂糖とともに第1級の貿易初品として輸出されることとなった。これに倣ってイギリス植民地にはスコッチの技術、スペイン植民地ではシェリーやシェリーブランデーの技術が持ち込まれることとなり、これが現在まで続くフランス系ラム、イギリス系ラム、スペイン系ラムという特徴が生まれることとなる。

フランス系ラムのおすすめ


トロワリビエール アンブレ ロゼリュールカスクフィニッシュ ラム RUM ラム酒 スピリッツ 長S

イギリス系ラムのおすすめ


アプルトン エステート 21年 ラム RUM ラム酒 スピリッツ 長S

スペイン系ラムのおすすめ


ラム ディプロマティコ マンチュアノ 700ml (73-9)(73971) スピリッツ rum

・奴隷廃止、甜菜糖の誕生

 

その後1783年にアメリカ独立、1789年にフランス革命などからヨーロッパで黒人奴隷解放の流れができ始める。1804年には世界初の黒人共和国としてハイチがフランスから独立。これにより、ハイチで砂糖のプランテーションを築いていた白人経営者たちはキューバに亡命。キューバがハイチに変わって世界一に砂糖生産国となった。1833年イギリス、1848年フランスが奴隷制を廃止。それによりカリブや中南米は深刻な労働力不足となり、中近東や東南アジアから大量の黒人に変わる奴隷が連れてこられ、より多種多様の文化が混在することとなった。

18世紀寒冷地でも栽培できる甜菜からサトウキビと同じような甘味細分が取れることが発見され、1786年に甜菜糖が完成する。また精白糖の製造に成功する。また1806年にフランスが大陸封鎖を配布すると、フランスは自国の植民地マルティニークなどからの砂糖も手に入らなくなると、ナポレオンは打開策としてフランス国内で甜菜の栽培を進めるようになる。

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User:MarkusHagenlocher - , , リンク

ナポレオン失脚後もフランス政府は甜菜糖の生産を推奨し、マルティニークグアドループなどでは砂糖の不良在庫が増えることとなった。それに反してラムの需要は上がったため、糖蜜が不足する事態が起きる。糖蜜を作るために砂糖を作るという今までと逆の構図となると、砂糖の価格はさらに下落した。これにより多くの製糖工場が倒産していった。この対策としてサトウキビジュースから砂糖を造らず、そのまま100%ラムの製造に使う製法が確立していく。これの製法がアグリコールと呼ばれるものである。

禁酒法キューバラム

 

19世紀後半からキューバでラムづくりが本格化する。アメリカで禁酒法が施行されると多くのアメリカ人がキューバを訪れて観光地として栄えた。この時、今日のバカルディをはじめ多くのキューバラム蒸留所は急成長した。禁酒法が廃止されるとアメリカへの輸出でさらに規模を拡大していった。1959年キューバ革命後、政府から土地と財産の没収を免れるため、バカルディなどはドミニカ共和国など周辺諸国に亡命すると、亡命先で今までと同じようにラムを作り始めた。ドミニカ共和国プエルト・リコなどの国もキューバと同じようにライトでスムースなラムを作るのはこういった背景があるからである

バカルディのおすすめ


バカルディー8 750ml 正規

 

その後マルティニーク産ラムがフランス本土のAOCを取得すると、各地でラムの品質保証の流れができ、ラムの制度が整うようになる。アグリコールラムに続き、ハイモラセスラムの確立やイギリスなどのボトラーズの参入などがあり、ますますラムがグローバル化していっている。壮絶な過去、さらに進化し続けるラムをウイスキー同様より大きくの人に知ってもらいたく、少しでも興味を持ってもらえてらと思う。