Yaffee's Whisky Blog

穀物、水、イーストという3つの材料から多彩な味が生まれ、長い熟成で気候風土や歴史、いろんな文化も取り込んで感慨深いお酒となっていくことがウイスキーの魅力だと思います。その魅力を少しでも伝えられるよう様々な情報を発信できたらと思います。またウイスキー以外にもいろいろな良酒たちをご紹介できたら幸いです。

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スコットランドの歴史 ~バノックバーン勝利後のスコットランドとイングランド~

 

 

 スコットランド独立宣言「アーブロース宣言」

 

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FlowerPower211によるPixabayからの画像

 

 ロバート・ブルースがバノックバーンの戦いで勝利後、スコットランドヨハネス22世にスコットランド独立宣言となる書簡文を送っています。これが1178年にウィリアム1世によって建てられたアーブロース寺院で宣言されたため、アーブロース宣言といわれています。どういった内容が書かれていたかというと、スコットランドが独立国であること、その王がロバート1世であること、独立と自由を脅かす脅威は団結して排除することが書かれていました。

 なぜわざわざ国王はロバート1世と明記したかというと過去に協会内で暗殺行為を行ったということでロバート1世は破門にされていたので、ロバート1世の破門を取り消し、正当化するためにこう明記する必要がありました。これにより教皇から正式に独立国として認められたスコットランドですが、最後に明記した脅威を団結して排除するという表記により、国王の権限は分散され、重臣、摂政などが比較的強い権力を持っていたため、スコットランド史は陰謀や暗殺の歴史として描かれることが多々見られます。

 

 敗戦したエドワード2世とイングランド

 

 

 このエドワード2世は優柔不断で政治には興味がなかったため、英国でも英国史上最低の王といわれています。そんなエドワード2世はバノックバーンの戦いに敗れたことで、さらに威厳を落とすこととなりました。

 また宮廷ではエドワード2世から寵愛を受けていたディスペンサー親子が国政をやりたい放題。実務嫌いのエドワード2世から実務を任されていたディスペンサー息子はどんどん領地を拡大し、賄賂で私腹を肥やしていました。各諸侯から反感を買い、反乱を起こしますが、エドワード2世が国王軍を動かし鎮圧。これによりウェールズの諸侯の1人ロジャー・モーティマーが捕縛され、断頭刑に処されるのを収監所内で待っていましたが、この時王妃イザベラと親しい仲となり、イザベラは断頭刑を終身刑減刑させ、さらに脱獄、フランスへと亡命させます。

 反乱を鎮圧したことでエドワード2世とディスペンサー親子の威厳だけは回復させ、イングランドは5年ほどエドワード2世とディスペンサー親子が好き勝手やった国政が続きます。この時にウェールズの領地拡大や王妃イザベラの領土の没収したためエドワード2世、ディスペンサー親子は各諸侯だけでなく、王妃までも敵に回します。(ちなみにエドワード2世は両性愛者といわれていて、ディスペンサー息子とは関係がありそのために好き勝手やらせていた、つまり完全なる公私混同であった。という書かれ方もあります。)

 

 王妃イザベラのクーデター

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Kevin PartnerによるPixabayからの画像


 

 

 王妃イザベラはひそかに夫であるエドワード2世を廃位させ、息子である皇太子エドワードに王位を継がせようと計画します。フランスとのサン=サルド戦争の戦後処理としてイザベラと皇太子エドワードが訪仏した時に実行に移います。イザベラはディスペンサー親子を追放しない限り皇太子エドワードとともにフランスに残ると言い出します。実はこの時亡命させたロジャーと再会し、その後ともに行動します。そして1326年にイザベラは軍を率いてロンドンに進軍します。この時に嫌われ者のエドワード2世とディスペンサー親子には味方はなく、逆に各地で王妃軍は歓迎されていたそうです。ロンドン市も王妃軍に味方し、最終的にはディスペンサー親子は処刑、エドワード2世は幽閉されることとなります。

 1327年これによりエドワード2世は廃位し皇太子エドワードがエドワード3世(このとき15歳)として即位します。その後のエドワード2世は幽閉先で妻である王妃イザベラの密命で殺害されます(嫌われ方が尋常じゃないですね)。

 エドワード3世は15歳ということもあり王妃イザベラが摂政を行いますが、実権はイザベラの愛人ロジャー・モーティマーが握ります。

 

 

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Sophia HilmarによるPixabayからの画像



 

 このイングランドの状況にバノックバーンの勝利で勢いに乗っていたロバート1世はスコットランドの独立を確実なものとするため、イングランド北部へ進軍します。

 その勢いに押される形となりイザベラとロジャーはやむなくスコットランド独立を認め、ロバート1世の息子(後のディヴィッド2世、当時5歳)と娘ジョーン(当時7歳)とを結婚させることで両国間の平和を回復させることにしました。これによりイングランドスコットランド内にほんのわずかな期間だけ平和が訪れます。そして1328年にエジンバラノーサンプトン条約によりスコットランド王国が承認されます。

 

 しかし、この結婚式の翌年に英雄王ロバート・ブルースは原因不明の病(ハンセン病の説が有力だが、脳梗塞、筋収縮性側索硬化症、乾癬、梅毒など様々な説があります。)でなくなります。これによりスコットランドはこの歴史を知らない幼王ディヴィッド2世が即位することとなります。

 

 


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参考資料

https://www.lvmh.co.jp/%E3%83%A1%E3%82%BE%E3%83%B3/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%B3-%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%84/glenmorangie/

 

https://www.ballantines.ne.jp/scotchnote/

 

https://www.japanjournals.com/feature/survivor/4766-ww1.html?start=1

 

https://ja.wikipedia.org/

 

https://www.kaho.biz/scotland/c.html

 

ウイスキー文化研究所 ウイスキーコニサー資格認定試験教本 2018上、2015下