Yaffee's Whisky Blog

穀物、水、イーストという3つの材料から多彩な味が生まれ、長い熟成で気候風土や歴史、いろんな文化も取り込んで感慨深いお酒となっていくことがウイスキーの魅力だと思います。その魅力を少しでも伝えられるよう様々な情報を発信できたらと思います。またウイスキー以外にもいろいろな良酒たちをご紹介できたら幸いです。

スコットランドの歴史 ~エドワード3世とディヴィッド2世~

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エドワード3世の親政と再びスコットランドの支配 

 

 

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Free-PhotosによるPixabayからの画像

エドワード3世は成人する1330年の11月に宮廷革命を起こし、摂政を行っていた母イザベルは終身幽閉処分、ロジャーを死刑に処し実権を取り返します。エドワード3世は国内の統治を安定化させます。(この時のロジャーとイザベルは国王を完全に無視した政治を行っていた。)

一方幼王ディヴィッド2世のスコットランドではロバート1世の前の王ジョン・ベイリャルイングランドに「運命の石」を奪われた時の王。スコットランド内で支持する貴族は少数だった)の息子エドワード・ベイリャルが反乱を企てます。この時、エドワード・ベイリャルはイングランドの国内統治に成功していたエドワード3世に援助を求めます。幼王ディヴィッド2世とまとまることを知らないスコットランドの貴族たちには勢いに乗っていたエドワード3世を止めることができず、ロバート1世が苦労して取り戻したスコットランドは再びイングランドの手に落ちます。

1333年エドワード3世はエドワード・ベイリャルの戴冠式を強行し、スコットランド正統王ディヴィッド2世はフランスへ亡命することとなります。

これによりイングランド国内でエドワード3世は「エドワード1世の再来」といわれ、さらにフランスとの戦争に乗り出します。つまり英仏百年戦争の勃発です。

 

 

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Marco SantiagoによるPixabayからの画像

 

フランスへ亡命していたディヴィッド2世でしたが、フランスはイギリスとの戦争のさなかでした。フランス王フィリップ6世は自国に亡命中のディヴィッド2世を支援すれば、スコットランドとフランスでイングランドを挟撃できると考え、ディヴィッド2世を支援します。フランス王から支援を得たディヴィッド2世は早速スコットランドに帰国、偽りの王エドワード・ベイリャルを破ります。この時エドワード・ベイリャルはイングランドに亡命しますが、エドワード3世から見捨てられ、その後、エドワード・ベイリャルは結婚もしてなかったためヨークシャーで一人、隠遁生活で幕を閉じたそうです。

1346年勢いに乗ったディヴィッド2世は、北イングランドに進軍しますが、戦の弱いディヴィッド2世は支援をもってしてもエドワード3世軍に大敗。ロンドンにて幽閉されることとなります。

しかし、この幽閉生活ですが、ディヴィッド2世にイングランド王家の血も混ざっていたこともありかなり裕福な幽閉生活でディヴィッド2世は完全に腑抜けてしまいます。

1352年エドワード3世はディヴィッド2世の釈放を身代金に代わって、スコットランド王位継承権をエドワード3世またはその跡継ぎに譲るという条件でディヴィッド2世の帰国を許します。これに腑抜けたディヴィッド2世は二つ返事で了承し、スコットランドに帰国しますが、スコットランド議会は激怒します。それによりディヴィッド2世は再びロンドンに舞い戻ることになります。

1357年エドワード3世とスコットランド議会との長い交渉の末、大変巨額の身代金を10年分割払いで支払うことで合意。ディヴィッド2世はスコットランドに戻ることとなります。貧しいスコットランドにとってかなり負担の大きいもので、これにより疲弊していきます。そんなことお構いなしの腑抜け者ディヴィッド2世はイングランドの裕福な幽閉生活を懐かしがって、エドワード3世に王位継承権を譲り、自身はイングランドに戻る密約をします。エドワード3世はこの密約に従って、息子ライオネルの王位継承権を主張しますが、スコットランド議会はアーブロース宣言に従ってこれを否定。

1371年腑抜け者ディヴィッド2世が亡くなります。彼には子供がいなかったため、次期スコットランド王にはディヴィッド2世がフランスに亡命してからずっと摂政を任され、ずっとスコットランドを守っていたディヴィッドの甥ロバート・スチュワートがロバート2世として王位につきます。

ただこのロバート2世ですが、イングランド外交、国内情勢、愚王ディヴィッドなど様々な問題を抱えだけでなく老齢ということのあり、功績は残せないまま実権は息子たちが握ることとなります。

一方エドワード3世の晩年は、王妃の死から不幸が重なり、判断力、指導力を失っていきます。フランスとの長い戦争も兵の疲弊とペストの流行により、フランスにある領土も失い、ペストにより息子を失い、そこから逃げるように愛人に溺愛すると愛人を政治に介入させるご乱心ぶりとなり、イングランド王室を混乱させます。この混乱は次の代のリチャード2世にも続き、プランジット朝の幕を閉じる結果となります。

 

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Eliabner CibeneによるPixabayからの画像

この時代の王はいろいろな書かれ方はあります。しかし英雄王と愚王はっきりと分かれますが、その晩年には悲劇が多いかと思います。この後歴史も勉強しつつ記事にしていこうと思いますが、歴史的にはこれが一旦区切りとなりそうです。今度はウイスキー検定やコニサーでおなじみのウイスキー元年1494年のスコットランド王室財務係の文書「王命により、ジョン・コーの8ボルの麦芽を与えてアクアヴィテを造らしむ」の時の王ジェームズ4世について書いていこうと思います。

今後ともよろしくお願いいたします。


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