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【スコットランド史】スコットランドの英雄王ロバート・ブルース死後のスコットランド。再びイングランドの支配へ~エドワード3世とディヴィッド2世~


 

www.yaffee.work

 

上の歴史の続きです。

簡単なあらすじを言うと……

スコットランドの独立のため、イングランドと戦ったウィリアム・ウォレス。仲間の裏切りにあい、彼は処刑されてしましますが、彼の意思を引き継いでロバート・ブルースはイングランドからの独立を果たします。独立宣言の意味を持つ「アーブロース宣言」をし、イングランドとも和平を結びます。

和平の象徴でもあるイングランドの王妃の娘(なぜ王の娘と言わないかは過去記事をクリックしてください!!)とロバート・ブルースの息子ディヴィッド2世(当時5歳)の結婚式の翌年ロバート・ブルースは病によってなくなってしまいます。

そこからまたスコットランドはまた混沌が訪れることになります。

 

 

 

 

エドワード3世の親政と再びスコットランドの支配 

 

 

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王妃のクーデターによってイングランド王となったエドワード3世ですが、

成人する1330年の11月に宮廷革命を起こし、摂政を行っていた母イザベルは終身幽閉処分、ロジャーを死刑に処し実権を取り返します。

 

エドワード3世は国内の統治を安定化させ始めます。

(この時のロジャーとイザベルは国王を完全に無視した政治を行っていたそうです。)

 

一方スコットランドではロバート1世の前の王ジョン・ベイリャルイングランドに「運命の石」を奪われた時の王。スコットランド内で支持する貴族は少数だった)の息子エドワード・ベイリャルが幼王ディヴィッド2世に対して反乱を企てます。

 

 

この時、エドワード・ベイリャルはイングランド国内統治に成功していたエドワード3世に援助を求めます。

イングランドにとってはこんなラッキーなことないですよね。。この辺がスコットランドのまとまりの悪いところです。)

 

統治力のない幼王ディヴィッド2世と、統一感のないスコットランドの貴族たちには勢いに乗っていたエドワード3世を止めることができません。

ロバート1世が苦労して取り戻したスコットランドは再びイングランドの手に落ちます

1333年エドワード3世はエドワード・ベイリャルの戴冠式を強行。

スコットランド正統王ディヴィッド2世はフランスへ亡命することとなります。

 

これによりイングランド国内でエドワード3世は「エドワード1世の再来」といわれるようになります。

 

ついにはフランスとの戦争にも乗り出します。つまり英仏百年戦争の始まりです。

 

英仏百年戦争の中のスコットランド

 

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Marco SantiagoによるPixabayからの画像

 

スコットランド王の帰還

 

フランスへ亡命していたディヴィッド2世でしたが、フランスはイギリスとの戦争のさなか。

 

フランス王フィリップ6世は自国に亡命中のディヴィッド2世を支援すれば、スコットランドとフランスでイングランドを挟撃できると考え、ディヴィッド2世を支援します。

フランス王から支援を得たディヴィッド2世は早速スコットランドに帰国。

偽りの王エドワード・ベイリャルを破ります

エドワード・ベイリャルはイングランドに亡命しますが、エドワード3世から見捨てられたため、その後歴史の記録に姿を現さなくなります。

エドワード・ベイリャルは結婚もしてなかったためヨークシャーで一人、隠遁生活で幕を閉じたそうです。

 

デイヴィッド2世が愚王に…… 

 

1346年、勢いに乗ったディヴィッド2世は北イングランドに進軍します。

しかしディヴィッド2世はフランスからの支援をもってしてもエドワード3世軍に大敗。

ロンドンに幽閉されます。

 

この幽閉生活が、ディヴィッド2世にイングランド王家の血も混ざっていたこともあり、田舎のスコットランドでは味わえない裕福な生活だったそう。

ディヴィッド2世は完全にイングランド好きになってしまい、腑抜けてしまいます。(これもエドワード3世の戦略とも言われています。)

 

1352年エドワード3世はディヴィッド2世の釈放を身代金に代わって、スコットランド王位継承権をエドワード3世またはその跡継ぎに譲るという条件でディヴィッド2世の帰国を許します。

この条件に腑抜けたディヴィッド2世は二つ返事で了承し、スコットランドに帰国しますが、スコットランド議会は激怒します。(当たり前ですよね。)

 

それによりディヴィッド2世は再びロンドンに舞い戻ることになります。

1357年エドワード3世とスコットランド議会との長い交渉の末、巨額の身代金を10年分割払いで支払うことで合意。

ディヴィッド2世はスコットランドに戻ることとなります。

貧しいスコットランドにとってかなり負担の大きいもの。この身代金により国が疲弊していきます。

そんなことお構いなしの腑抜け者ディヴィッド2世はとんでもない行動をとります。

イングランドの裕福な幽閉生活を懐かしがって、エドワード3世に王位継承権を譲り自身はイングランドに戻る密約をします。

 

エドワード3世はこの密約に従って、息子ライオネルの王位継承権を主張

スコットランド議会はアーブロース宣言に従ってこれを否定。

 

それぞれの晩年

 

1371年腑抜け者ディヴィッド2世が亡くなります。

彼には子供がいなませんでした。

次期スコットランド王にはディヴィッド2世がフランスに亡命してからずっと摂政を任され、ディヴィッドの甥ロバート・スチュワートが「ロバート2世」として王位につきます。

 

ただこのロバート2世ですが、イングランド外交、国内情勢、愚王ディヴィッドなど様々な問題を抱えていました。さらに老齢ということのあり、功績は残せないまま実権を息子たちに譲ることとなります。

 

一方エドワード3世の晩年は、王妃の死から不幸が重なり、判断力、指導力を失っていきます。

またフランスとの長い戦争でイングランドの疲弊とペストの流行が重なります。

フランスにある領土、ペストにより息子も失い、そこから逃げるように愛人に溺愛します。

ついには愛人を政治に介入させるご乱心ぶりイングランド王室を混乱させます。

この混乱は次の代のリチャード2世にも続き、プランジット朝の幕を閉じる結果となったそうです。

 

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Eliabner CibeneによるPixabayからの画像

当時の王はいろいろな書かれ方があります。

英雄王と愚王はっきりと分かれますが、その晩年には悲劇が多いように思いますね。

 

 

この話の続きからついにウイスキーに絡めた歴史にしていきます。

こうご期待ください!!

 

 

最後まで今回の記事を読んでいただきありがとうございます。

の話いかがだったでしょうか

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