Yaffee's Whisky Blog

穀物、水、イーストという3つの材料から多彩な味が生まれ、長い熟成で気候風土や歴史、いろんな文化も取り込んで感慨深いお酒となっていくことがウイスキーの魅力だと思います。その魅力を少しでも伝えられるよう様々な情報を発信できたらと思います。またウイスキー以外にもいろいろな良酒たちをご紹介できたら幸いです。

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ウイスキーの歴史 ~始まりから密造酒時代の終焉~

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今回はアイルランドスコットランドから始まったウイスキーの歴史を見ていこうと思います。

 

・始まり

 

 

蒸留で使われた器具として最も古いものは古代メソポタミア文明の遺跡から発見された土器で、紀元前3500年ほどのものだといわれています。そして古代文明発祥の地からエジプト、ギリシャの伝わり、アジアヨーロッパへと伝わったと考えられています。

それからしばらくたった1172年イングランド王ヘンリー2世がアイルランドに攻め込んだ時、すでにアイルランドでは穀物原料の蒸留酒「ウスケボー」が飲まれていたという報告がされています。アイルランドウイスキーの発祥の地とアイルランド側が謳う根拠はこれです。しかしこれはそういう報告があったというだけでスコットランド側は前回の記事で書いたジェームズ4世の時代に残された王室財務係の記録がはじめだと主張しています。(正直どっちでもいいですが……)

 

前回記事ジェームズ4世リンク

 

このウスケボーやアクアヴィテは、言語は違うけど意味はすべて「命の水」という同じ意味。そもそも蒸留酒のことを飲むと命が燃えるように熱くなることから「命の水」といっていたそうです。

 

そこから「ウイスキー」という言葉が初めて英語で出てくるのは1715年発行の「スコットランド落首集」という文献が最初だといわれています。そこには「スコットランドにはウイスキーという名の酒があり、それは脳を狂乱させる。」といった内容のものだったそうですが、これはのちに発行される時点の中に書かれた内容で、実際にはそのあとだという説もあります。

 

 

・樽熟成の始まり

 

 

 

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ArtTowerによるPixabayからの画像

1707年スコットランド議会が廃止。イングランドに併合されると、イングランド麦芽税がスコットランドにも課せられるようになります。これによりローランドに集中していた大規模蒸留所は麦芽比率を減らしたグレーンウイスキーを、ハイランドに多かった小規模蒸留所はモルトウイスキーを密造し始めます。ハイランドの密造業者たちは造られた密造酒を隠すために、この当時イングランドスコットランド貴族にシェリー酒が人気だったこともあり、港にたくさんあったシェリーの運搬用の空き樽に詰めて保管されていました。そしていざ飲もうとしたら、保管前は荒々しかったお酒が香味豊かで口当たりまろやかな琥珀色の美酒へと変化していたため、これがウイスキーとして一般化していったというのが「ウイスキーを樽で熟成させる」ということの始まりです。

しかしこのころにはワインやブランデーでは樽で熟成させる効果は一般化していて、貴族や上流階級の間ではすでに広まっていました。この流れを汲んだウイスキーというのもこの当時あってもおかしくないかと思います。樽熟成の始まりに関しては様々な説があり、定かではないですが、イングランドへの抵抗の証である密造酒から樽熟成されたウイスキーが生まれた説のほうが、ストーリー性があるためこの説がよく語られています。

 

・密造酒時代の幕開けから終焉

 

 

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密造酒づくりはイングランドの支配が強くなればなるほど盛んになっていきます。1777年には公認蒸留所が8件に対して密造所は400以上との報告もあったそうです。

またこの時代のアイリッシュウイスキーの人気は高く、現在でもブランド名で名を残す有名蒸留所たちが集中して建設されていたり、ロシアの初代皇帝ピョートル大帝には「すべての酒のうちでアイルランド産のものが最高である」との言葉も残されていたりしています。

しかしアイルランドも1801年にイングランドに併合されると密造酒がピークとなります。

 

そんな密造酒時代も、大の酒好きと浪費家で知られるイングランド王ジョージ4世によって幕を開けることとなります。スコットランドウイスキーを気に入り、スコットランドの文学者ウォルター・スコット叙事詩湖上の美人』の作者)の勧めで、スコットランドに訪問。禁制のグレンリベットをご所望しました。(この当時の密造酒摘発件数は14000件だったそうで、もちろんグレンリベットも密造酒でした。)しかもこの訪問時にスコットランドの港リースについたときのジョージ4世はスコットランドの民族衣装・キルトを身にまとい、片手にはウイスキーが継がれた状態で登場したそう。

この訪問がきっかけで酒税法が改正。税率が落とされ、合法的にウイスキーが作りやすくなりました。これにすぐに飛びついたのがグレンリベット蒸留所で政府公認第1号蒸留所となっています。これには周りの蒸留所は否定的でしたが、グレンリベットの成功を見ると周りの蒸留所も製造許可を取るようになり、さらに自分たちの蒸留所名に「グレンリベット・○○」や「○○・グレンリベット」のようにグレンリベットの名前を勝手につけるようになります。

 

 

この後から連続式蒸留機の発明やアメリカの禁酒法、フィロキセラによりスコッチウイスキーアイリッシュウイスキーの優劣は逆転。スコッチウイスキー蒸留酒の王様となっていくのですが、その話はまた近日中にUPします。