Yaffee's Whisky Blog

穀物、水、イーストという3つの材料から多彩な味が生まれ、長い熟成で気候風土や歴史、いろんな文化も取り込んで感慨深いお酒となっていくことがウイスキーの魅力だと思います。その魅力を少しでも伝えられるよう様々な情報を発信できたらと思います。またウイスキー以外にもいろいろな良酒たちをご紹介できたら幸いです。

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ウイスキーの歴史 ~続き~

1823年の酒税法改正、1824年に政府公認第1号蒸留所ができると、スコッチウイスキーは飛躍的に進歩していきます。

 

・連続式蒸留機の発明

 

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Coffey Still 連続式蒸留機

 

1831年アイルランドの元税務官イーニアス・コフィーが連続式蒸留機を発明します。この蒸留機は、コフィー自身がアイルランドウイスキーに貢献しようと造り、より多くの人に使ってもらえるように特許(パテント)を取りました。このためパテントスチルとも呼ばれています。しかし、アイルランドの蒸留所の人々は穀物を3回蒸留するスムースで飲みやすいポットスチルウイスキーに誇りをもって作っていたため、この蒸留機には目もくれませんでした。

この蒸留機に目を付けたのが、スコットランドのローランドのグレーン蒸留所とジンメーカーでした。この連続式蒸留機ではニュートラルなスピリッツを連続的に生産することが可能で、様々な穀物を使うグレーンウイスキーやボタニカルの風味を生かしたいジンには理にかなった蒸留機だったからです。

コフィー式スチルを採用したことで、スコットランドのグレーンウイスキーは一気に雑味の少ないニュートラルな原酒を手に入れることができ、雑味の少ないグレーンウイスキーとハイランドやキャンベルタウン、アイラのような個性的なモルトウイスキーと混ぜて作られるブレンデッドウイスキーたちまち人気となります。

 

・フィロキセラ

 

 

 

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またこの時にブドウの根を枯らす害虫フィロキセラがヨーロッパ全土を襲います。ヨーロッパ中のブドウの木が枯れ、ワインもブランデーの作れなくなります。この時代のヨーロッパの貴族たちはみな蒸留酒といえばブランデーを好んでいましたが、飲めなくなったことでウイスキーが飲まれるようになります。またバランスの取れた雑味の少ないブレンデッドウイスキーの登場も相まって、スコットランドの地酒程度でしかなかったスコッチウイスキーがヨーロッパ中・世界中に広まることとなります。

 

 

 

アメリカンウイスキーの始まり

 

 

 

少し時代が巻き戻ることとなりますが、17世紀ごろヨーロッパからアメリカ大陸へ移住が始まり、13州がイギリス植民地化すると、スコットランド系やアイルランド系の移民が蒸留酒を作り始めます。初めは果物原料のブランデーから三角貿易でもたらされたラム、そしてアメリカ産の穀物を使った蒸留酒ウイスキーの順番に造られていきます。この穀物は農業の傍らライ麦などを原料としていました。

1776年、アメリカ独立宣言。ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任すると、先の独立戦争後の財務安定のためにウイスキーに課税をします。これによりウイスキーを作っていたスコッチ・アイリッシュたちはアパラチア山脈を越え、当時外国扱いだったケンタッキーやテネシーに移り住み、そこでウイスキーを作り始めます。

ちなみに独立戦争時に英国王室支持派だった人たちはカナダへ移住し、そこで農業の余剰となったライ麦などでウイスキーを作り始めます。これがカナディアンウイスキーの始まりです。

1789年スコットランド系移民で牧師のエライジャ・クレイグが主要農作物のトウモロコシでウイスキーを造ります。そこためエライジャ・クレイグは「バーボンの祖」と呼ばれています。

1861~65年南北戦争。ケンタッキー出身のリンカーン大統領に率いる北軍が勝利すると、北の資本がケンタッキーに流れ込み、バーボン業界の企業化が進みます。連続式蒸留機の導入、技術革新により20世紀初頭にかけてバーボン黄金期となります。

 

 

その後1920~33年にかけてアメリカで禁酒法が施行されますが、この禁酒法ウイスキーだけでなく、またアメリカだけでなく世界中の酒に大きく影響を及ぼします。したがって次回は禁酒法だけにフォーカスして記事を書いていこうと思います。

Upは来年になってしまうので、また来年よろしくお願いします。よいお年を。