Yaffee's Whisky Blog

ウイスキー好きの料理人が書くウイスキー中心のブログ。

MENU

【ウイスキーの歴史】ウイスキー目線で見えてくる歴史!!スコッチウイスキーを軸に解説いたします。


歴史 本 
 

お酒の歴史は、深く見ていくと世界史にかかわってきます。

つまりお酒から見える歴史というのもあると思います。

 

ウイスキーも例外ではありません。

そこで今回はウイスキーがどのように歴史に関わっているのかをスコッチウイスキーの歴史から解説していこうと思います。 

【見出しを確認したい人はこちらをクリック!!!】

  ↓↓↓

 

 

蒸留技術の始まり 

 紀元前3500年ほど前の古代メソポタミア文明には蒸留は行われていたようです。

遺跡から蒸留で使われたと思われる土器が発見されています。

 

ただし詳しいことはわかっていないようですが、当時はまだお酒の蒸留は行っていなかったようです。

蒸留は香水や薬の造りなどがメインだったという説もあります。

 

古代文明発祥の地からエジプト、ギリシャに伝わり、アジア、ヨーロッパへと伝わったといわれています。

 

ウイスキーの始まり

 

1172年イングランド王ヘンリー2世がアイルランドに攻め込んだ時、すでにアイルランドでは穀物原料の蒸留酒「ウスケボー」が飲まれていたという報告がされています。

これが穀物原料の蒸留酒が初めて出てきた文献だそうです。

 

これがアイルランドウイスキーの発祥の地といわれる理由です。

ちなみにここから アイルランドイングランド支配下になります。

 

スコッチウイスキー元年

1494年スコットランド王室財務係に

 

「王命(ジェームズ4世)により修道士ジョン・コーに8ボルの麦芽を与えてアクアヴィテを造らしむ」

 

という記録が残っています。

アクアヴィテとは古いウイスキーの呼び名の一つです。

この記録が初めてウイスキーが歴史上に出てきたもので、この年をスコッチウイスキー元年とされています。

 

アクアヴィテ(ウイスキーに似たもの)を造らせるよう命じた当時の王・ジェームズ4世は、スコットランド史の中でも数少ない賢王だったそうです。

 

そこで少しこのシェームズ4世のことに触れてみます。

 

ジェームズ4世

 

 

ジェームズ4世はこの時代のスコットランド王家スチュワート家の中で最も寛容さと温情があり、冷静な政治力と高い学力を持っていた理想的な君主だったといわれています。

 

15歳で即位してすぐにアンガス伯が起こした反乱(前王ジェームズ3世が討たれた反乱です)を即座に鎮圧、領土を没収します。

ただそのあとアンガス伯に新しい領土を与えます。さらに2年後には宰相に取り立てたそうジェームズ4世の寛容な対応にアンガス伯も感激し、忠誠を誓ったそうです。(器でかっ!)

 

またジェームズ4世はゲール語を含め8か国語以上を話せ、音楽などの文化・芸術や医学にも深い関心かありました。

彼の創設したアバディーン大学はイングランドにもなかった医学部を設立しています。

 

 

 

さらに内政面・軍事面でも様々な設備を整えたり、高い攻撃力を持った戦艦を用意し海軍力を強化したりしました。

 

 

そんな賢王ジェームズ4世もイングランド関係だけはどうすることもできません

 

初めはイングランド王ヘンリー7世の娘マーガレットと結婚しイングランドスコットランド間で平和条約を締結しますが、ヘンリー7世が死去。

ヘンリー8世が即位したとき、フランスがイタリアのナポリを占領します。

しかし、ローマ教皇ユリウス2世がそれをよく思っていませんでした。

イングランド神聖ローマ帝国・スペインを巻き込んで対フランス神聖同盟を結成します。

 

これにより再びフランスとイングランド間で争いが起きます。

この戦いでスコットランドは、和平を結んだばかりのイングランドと古くからの同盟国フランスとの間で板挟み状態になってしまいます。

 

ジェームズ4世は2国間の橋渡しになれるように尽力します。

しかしそれもかなわず、最後にはフランス王ルイ12世に従いイングランドに進軍することとなってしまします。

 

賢王のジェームズ4世がイングランドに進軍するということでスコットランド各地からは過去最大の4万という兵が集まります。

その大軍勢でイングランドに攻め込みますが、ほぼ半分の兵力でも統率の取れたイングランド軍に元々統一感のないスコットランド軍は大敗。。

その「フロドゥンの戦い」でジェームズ4世は戦死してしまいます。

 

 

 

その翌年フランス王ルイ12世とイングランドヘンリー8世は和解

間に挟まれたスコットランドは優秀な君主を失い、兵力の大量に失い、また政治は混乱していくという一番の被害者となりました。

 

 

ウイスキーの語源は「命の水」

 

上で紹介したアイルランドのウスケボーやスコットランドのアクアヴィテは、両方とも「命の水」という意味。

そもそも蒸留酒は飲むと胸が燃えるように熱くなることからそういわれるようになったようです。

 

蒸留酒についての過去の記事はこちら】

 

www.yaffee.work

 

ウイスキーという言葉が初めて英語表記で出てくるのは1715年発行のスコットランド落首集」という文献が最初だという説があります。

そこには

スコットランドにはウイスキーという名の酒があり、それは脳を狂乱させる。」

 

と書かれていたそう。

これはのちに発行される辞典の中で明かされた内容なので、1736年の書簡(手紙?)や1755年刊の英語辞書に書かれた内容が始めてだという説があります。

 

僕は「ウイスキーは脳を狂乱させる説」のほうが好きです!!(笑)

 

樽熟成の始まり

 

1707年スコットランド議会が廃止。

イングランドに完全に併合されると、イングランド麦芽税がスコットランドにも課せられるようになります。

これによりローランドに集中していた大規模蒸留所は麦芽比率を減らしたグレーンウイスキーを、ハイランドに多かった小規模蒸留所はモルトウイスキーの密造を始めます

 

ハイランドの密造業者たちは密造酒を隠すために、港にたくさんあったシェリーの運搬用の空き樽に詰めて保管されていました。

 

そしていざ飲もうとしたら、保管前は荒々しかったお酒が香味豊かで口当たりまろやかな琥珀色の美酒へと変貌を遂げていました

これが「ウイスキーを樽で熟成させる」ということの始まりといわれています。

 

 

しかしこの説の否定派もいるようです。

この頃にはワインやブランデーで樽熟成の効果は知られていました

当然この知識も、貴族や上流階級の間ではすでに広まっていたともいわれています。

つまり、ブランデーやワインに倣った製法のウイスキーもこの当時あってもおかしくないと思います。

 

樽熟成の始まりに関しては諸説あります。

ただイングランドへの抵抗の証である密造酒から樽熟成のウイスキーが生まれた説」のほうが好きって人は多いのではないでしょうか。

 

 

 

密造酒時代

 始まり

密造酒づくりはイングランドの支配が強くなればなるほど盛んになっていきます。

1777年には公認蒸留所が8件に対して密造所は400以上との報告もあったそうです。

 

当時はアイリッシュウイスキーの方が人気高く、ロシアの初代皇帝ピョートル大帝「すべての酒のうちでアイルランド産のものが最高である」という言葉も残しているみたいです。

 

しかしアイルランドも1801年にイングランドに併合されると密造酒がピークとなります。

 

アイリッシュウイスキーを詳しく書いた記事はこちら】

www.yaffee.work

 

終わり

 

長く続いた密造酒時代も、大の酒好きと浪費家で知られるイングランド王ジョージ4世によって終わりを迎えます。

スコットランドウイスキーを気に入り、スコットランドの文学者ウォルター・スコット叙事詩湖上の美人』の作者)の勧めで、スコットランドに訪問します。(蒸留所見学ですね!!)

 

禁制のグレンリベットをご所望したと記録があります。(グレンリベットも密造酒でした。)

訪問時にスコットランドの港リースについたときのジョージ4世はスコットランドの民族衣装・キルトを身にまとい、片手にウイスキーという姿で登場したそう。

スコッチウイスキーの魅力にどっむりハマり、イングランド王が禁制のお酒をスコットランドの民族衣装で楽しんでいた姿を激写(記録)されます

 

このスクープにイングランド政府は頭を抱えます。

 

 

そしてこの訪問がきっかけで酒税法を改正。

税率が落とされ、合法的にウイスキーが作りやすくなりました

これにすぐに飛びついたのがもちろんグレンリベット蒸留所

政府公認第1号蒸留所となっています。

これには最初こそ周りの蒸留所は否定的でした。

しかしグレンリベットの成功を見ると周りの蒸留所も後に続くようになります

ついには自分たちの蒸留所名を勝手に「グレンリベット・○○」や「○○・グレンリベット」のようにグレンリベットをつけはじめます

 

後の裁判によって本家グレンリベットが勝利。

多くの蒸留所がグレンリベットの名前を外しますが、リベット川沿いの蒸留所は今でも正式に名乗ることができるみたいです。

 

「今でもグレンリベットを名乗っている蒸留所」はこちら!!

 

 

この酒税法改正後、スコッチウイスキーは飛躍的に発展していきます。

 

連続式蒸留機の発明

 

1831年アイルランドの元税務官イーニアス・コフィーが連続式蒸留機を発明します。

この蒸留機は、コフィー自身がアイルランドウイスキーに貢献しようと造り、多くの人に使ってもらえるように特許(パテント)を取りました

このためパテントスチルとも呼ばれています。

しかし、アイルランドの蒸留所の人々は穀物を3回蒸留するスムースで飲みやすいポットスチルウイスキーに誇りをもっていました。

そのためコフィー式蒸留機には目もくれません。

 

この蒸留機に目を付けたのが、スコットランドのローランドのグレーン蒸留所とジンメーカーでした。この連続式蒸留機ではニュートラルなスピリッツを連続的に生産することが可能

様々な穀物を使うグレーンウイスキーやボタニカルの風味を生かしたいジンには理にかなった蒸留機だったからです。

 

コフィー式スチルを採用したことで、スコットランドのグレーンウイスキーは一気に雑味の少ないニュートラルな原酒を作ることができるようになりました

このグレーンウイスキーと個性的なモルトウイスキーを混ぜたブレンデッドウイスキーはたちまち人気となっていきます。

 

フィロキセラ

 

1860年頃からブドウの根を枯らす害虫フィロキセラがヨーロッパ全土を襲います。

ヨーロッパ中のブドウの木が枯れ、ワインもブランデーの作れなくなりました。

この時代、ヨーロッパの貴族たちはみな蒸留酒といえばブランデーだったそうです。

 

当時のウイスキークセの強い片田舎の地酒という感覚でした。

ブランデー飲めなくなったことで、仕方なくウイスキーが飲まれるようになりますが、ちょうどこの時バランスがよく程よい個性のブレンデッドウイスキーの登場。

 

スコットランドの地酒程度でしかなかったスコッチウイスキーがヨーロッパ中・世界中で人気となります。

そしてスコッチウイスキー蒸留酒の王様としての地位を獲得していきます。

 

現在多くのクラフト蒸留所が建ち並び、その蒸留所から続々とシングルモルトウイスキーがリリーズされ始めています!

 

ぜひこの機会にウイスキーを飲んで(脳を狂乱させて)みてはいかがですか??

 

 

 

最後まで今回の記事を読んでいただきありがとうございます。

スコッチウイスキーから見ていく歴史の話いかがだったでしょうか。

この記事が面白かった・よかったと思ったらランキングまたは、はてなアカウントをお持ちの方は「はてなブックマーク」へのご協力をお願いいたします。

↓↓↓

このエントリーをはてなブックマークに追加  

 

ブログランキング・にほんブログ村へ

 

 今でもグレンリベットを名乗れる蒸留所

 

 

 

 

 

 


プライバシーポリシー