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【歴史特集】壮絶なスコットランド史。英雄ウィリアム・ウォレスと解放王ロバート・ブルース


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Greg MontaniによるPixabayからの画像

 

今回はスコットランド史の中でも最もアツいウィリアム・ウォレスロバート・ブルースについてみていこうと思います。

 

 

 1296年イギリスのエドワード1世がスコットランドに侵攻、スコットランド王国が消滅し、「運命の石」がロンドン、ウエストミンスター寺院へ持ち去られてしまうところから話が大きく動きます。

エドワード1世

スコットランド史の二人を語る上で外せない悪役となるのがこのエドワード1世。

 

 エドワード1世は内政面では法整備を整え、間接民主制の基礎となるような議会を招集し「イギリス議会の父」ともいわれていますが、外政面では戦争に明け暮れていました。

ちなみに法を整え、間接民主的な議会の招集を行ったのも戦争に必要な費用を捻出するためだそうです。

スコットランド以外にはウェールズを併合し、自分の息子をウェールズ大公”プリンス・オブ・ウェールズ”の地位につけました。これ以来、英国皇太子はこの称号が付けられることが伝統となります。(今でも皇太子はプリンス・オブ・ウェールズですよね。)

またフランスのボルドーを含むアキテーヌ地方をめぐってフランスと戦争します。これによりフランスとは百年戦争へと発展する火種を作ります。

 いわゆる戦ばかり考えていた王で、さらに戦において優れた才覚のある人だったといわれています。そのためエドワード1世については国内外様々な見方をされますね。世界史でも名君に書き方だったり、冷徹非道な人間の書き方だったり……

 

 ちなみに今回の記事の内容のウィリアム・ウォレスの生涯を描いた1995年のアメリカ映画で監督・主演メル・ギブソンの「ブレイブハート」ではかなり悪役に描かれてます。

eiga.com

 
ブレイブハート [ ソフィー・マルソー ]

 

イリアム・ウォレス

  スコットランドアレキサンダー3世の家系が途絶えてしまったのを機にスコットランドに侵攻し、占領したエドワード1世。彼がスコットランドの総督を命じたジョン・ド・ワーレンは過激な統治(重税、初夜権、略奪など)を行っていました。

スコットランドの民衆を徹底的に弾圧していた状況に、ウィリアム・ウォレスが立ち上がります。始めてウォレスが歴史の記録として出てくるのは、とあるスコットランドの村イングランド人保安官が殺害されたという小さな事件です。

 そこから民衆を集めていき、ゲリラ戦にてイングランド軍に勝利を重ねていきます。さらにウォレスのもとに虐げられていた下級貴族や民衆がついてくるようになります。

 

ウォレスは民衆を率いてスターリングブリッジでジョン・ド・ワーレン率いるイングランド軍と大戦に挑みます(スターリングブリッジの戦い)。

圧倒的に不利な兵力からウォレス軍が大勝利をおさめます。これがスコットランド独立戦争の中、大きな戦いで初めてイングランドを下した戦いでした。

 

さらにウォレスはスコットランド民衆、下級貴族に支持されます。そしてのちの解放王となるロバート・ブルースからナイト(守護菅)の称号を得ます。

(称号を与えた人は諸説あり。実際ウォレスが掲げていた旗はスコットランド先王ジョン・ベイリャルのもので、それに対してロバート・ブルースはよく思ってなかったという見方もあります。)

 

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DevanathによるPixabayからの画像

 

この勢いに乗ったウォレスはイングランド北部まで攻め込みます。

しかしフランスに侵攻していたエドワード1世がこのウォレスの反乱を聞きつけ、早々にフランス国王と講和。ブリテン島に戻ってそのままウォレス軍に向けて侵攻していきます。

 

 

 

戦の天才エドワード1世の破壊的な報復にウォレス軍は徐々に追い詰められていきます。ついにファルカークにて大戦を強いられる状況となります(ファルカークの戦い)。この戦いでウォレス軍内の貴族が率いていた騎兵隊が一戦も交えず撤退したため、ウォレスは決戦に持ち込めませんでした。結果は大敗

 

これにより、ウォレスはナイト(守護官)を辞します。

 

 

その後1303年までウォレスの動向はよくわかっていません。ローマやフランスなどヨーロッパ各国でエドワード1世の抵抗運動の援助を求めていたといわれています。

ローマやフランスから援助を得ると、1303年スコットランドに帰国します。

 

 

 一方ファルカークの戦いで勝利したエドワード1世は、スコットランドの侵攻を繰り返し、1303年にスコットランドを制圧します。

 

 

 ウォレスが帰国したことを聞きつけたエドワード1世は血眼になってウォレスを追います

そしてウォレスのかつての部下たちに賄賂を渡し、ウォレスを裏切らせます。1305年部下の裏切りにあったウォレスはイングランドに引き渡されました。

その後イングランドで反逆罪に問われます。

しかしウォレスはもともとエドワード1世に忠誠を誓ったことがないと主張しますが、結果は有罪。残虐な方法で処刑されそうです。

ウォレスの体は引き裂かれイングランドスコットランドの4か所にそれぞれ晒されました。それは恐怖によりスコットランド民衆の反逆心をそぐためにといわれています。

 

しかし逆にスコットランド民衆の反逆心をより仰ぐこととなります。

そして解放王ロバート・ブルースを支持する声が高まります。

 

ロバート・ブルース

 

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azboomerによるPixabayからの画像

 ウォレス死後、エドワード1世の占領下のスコットランドは王不在。完全にイングランド王国の一地域となっていました。

その中ロバートはエドワード1世への忠誠と反逆を繰り返していました。

イングランドの目がスコットランドに向いていないうちに、ロバートは自前で用意した戴冠式スコットランド王となり、ロバート1世と名乗ります。

 

しかしすぐにイングランド軍の討伐を受け、それに敗北。ロバート1世は亡命することとなります。

 

ロバート1世不在の中、部下たちはイングランド軍にゲリラ戦で応戦し続けます。

初めてイングランド軍から勝利すると再びエドワード1世が動きだしますが、進軍中にエドワード1世は病で死にます。

イングランド軍を引き継いだ息子のエドワード2世。彼はあらゆる>才覚が父に比べてかなり劣った愚王</spanでした。不信感を持っていた配下たちを掌握できず、イングランドを2つの勢力に分けてしまします。

 

前記したアメリカ映画の「ブレイブハート」でも親の七光りな愚王っぷりです。

 

 スコットランドの制圧やウォレスからの勝利は戦に長けたエドワード1世の力あってのもの。

エドワード1世の死を聞きつけたロバート1世はエドワード2世と戦うべくスコットランドに帰国し、ゲリラ戦にて交戦します。

ロバート1世軍は次々と各地で勝利を重ねていきます。その功績が認められ、正式にスコットランド国王となります。

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スターリング城

Sophia HilmarによるPixabayからの画像

 

そしてついにロバート1世はスコットランドの軍事的に重要な拠点であるスターリング城を奪還しようと包囲し始めます。

それに対してエドワード2世はスターリング城に残るイングランド軍に加勢しようと軍をすすめます。

大半が歩兵のロバート1世軍に対し、エドワード2世軍は弓兵と重騎兵で構成され、兵力も3倍近い圧倒的に不利な状況でした。

そのためロバート1世は、足場の悪く重騎兵にとって戦いにくい湿地帯のバノックバーンを戦場に選択します。これがスコットランド史で最も有名である「バノックバーンの戦い」です。

逸話ではイングランド人の死者によってスコットランド軍は湿地帯の中、足を濡らすことなく帰路につくことができたとか……。

 見事この戦いに大勝利をおさめ、ロバート1世はイングランドからスコットランドを奪還することに成功します。そしてロバートブルース(ロバート1世)はスコットランドで最も偉大な国王のひとりとなりました。

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FlowerPower211によるPixabayからの画像

 

 

 

 そのロバート1世にちなんだブレンデッドウイスキーがリリースされています。その銘柄名の「ロバート・ザ・ブルース」バランスの取れたスタンダードブレンデッドです。


ロバート・ザ・ブルース(スコッチ/ブレンデッド)700ml ウイスキー ウィスキー whysky【7787726】 【この商品は常温便のみでの販売となります】

 

日本語検索ではウィリアム・ウォレスの関するウイスキーは出てきませんが、英語検索で「Wallace」ではウイリアム・ウォレスにちなんだリキュールが出てきました。なんでもディーンストンのウイスキーを使ったリキュールだそうで、日本には全く入ってきてないようですね。

 

スコットランド独立宣言「アーブロース宣言」

 

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FlowerPower211によるPixabayからの画像

 

 ロバート・ブルースがバノックバーンの戦いで勝利後、スコットランドヨハネス22世にスコットランド独立宣言となる書簡文を送っています。

これが1178年にウィリアム1世によって建てられたアーブロース寺院で宣言されたため、アーブロース宣言といわれています。

内容としては、スコットランドが独立国であることその王がロバート1世であること独立と自由を脅かす脅威は団結して排除することが書かれていました。

なぜわざわざ国王はロバート1世と明記したか疑問に思いますよね。

ロバート1世は過去に教会内で暗殺行為を行ったことキリスト教会から破門にされていたのです。そのためロバート1世の破門を取り消し、正当な王とするために明記する必要がありました。

教皇から正式に独立国として認められたスコットランドですが、最後に明記した脅威を団結して排除するという表記により、国王の権限は分散され、重臣、摂政などが比較的強い権力を持っていたため、スコットランド史は陰謀や暗殺の歴史として描かれることが多いです。

 敗戦したエドワード2世とイングランド

話は一旦イングランドの話になります。

 

この時のイングランドエドワード2世は優柔不断で政治には興味がなかったため、国史上最低の王といわれています。

バノックバーンの戦いに敗れたことで、さらに威厳を落とすこととなりました。

 

また宮廷ではエドワード2世から寵愛を受けていたディスペンサー息子とその父が国政をやりたい放題

実務嫌いのエドワード2世から実務を任されていたディスペンサー息子はどんどん領地を拡大し、賄賂で私腹を肥やしていました。

各諸侯から反感を買い、反乱が起きますが、エドワード2世が国王軍を動かし鎮圧。

これによりウェールズの諸侯の1人ロジャー・モーティマーが捕縛され、断頭刑に処されることとなります。ロジャーは処刑を収監所内で待っていましたが、この時王妃イザベラと親しい仲となります(どんな昼ドラだよ……)。

イザベラはロジャーの断頭刑を終身刑減刑させ、さらに脱獄、フランスへと亡命させます。

 

 

反乱を鎮圧したことでエドワード2世とディスペンサー親子の威厳だけは回復させます。5年ほどエドワード2世とディスペンサー親子がさらに好き勝手やった国政が続きます。

ウェールズの領地拡大、ついには王妃イザベラの領土没収まで手を出したのです。エドワード2世、ディスペンサー親子は各諸侯だけでなく、王妃までも敵に回します。

 

 王妃イザベラのクーデター

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Kevin PartnerによるPixabayからの画像


 

 

 王妃イザベラはひそかに夫であるエドワード2世を廃位させ、息子である皇太子エドワードに王位を継がせようと計画します。

 

フランスとのサン=サルド戦争の戦後処理としてイザベラと皇太子エドワードがフランスを訪れた時に実行します。

イザベラはディスペンサー親子を追放しない限り、皇太子エドワードとともにフランスに残ると言い出します。

この時亡命させたロジャーと再会し、その後行動をともにします。

1326年、ついにイザベラは軍を率いてロンドンに進軍します。この時に嫌われ者のエドワード2世とディスペンサー親子には味方はなく、逆に各地で王妃軍は歓迎されていたそうです。ロンドン市も王妃軍に味方し、最後にはディスペンサー親子は処刑、エドワード2世は幽閉となります。

1327年これによりエドワード2世は廃位。皇太子エドワードがエドワード3世(このとき15歳)として即位

エドワード2世は幽閉先で殺害されます。裏で密命を出したのが妻である王妃イザベラだそうです。

 エドワード3世は15歳ということもあり王妃イザベラが摂政を行いますが、実権はイザベラの愛人ロジャー・モーティマーが握ります。

 

スコットランド独立

 

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Sophia HilmarによるPixabayからの画像



 

このようなイングランドの状況とバノックバーンでの勝利が重なり、ロバート1世はスコットランドの独立をより確実なものとしようと考えます。そしてイングランド北部へ進軍します。

勢いに押される形でイザベラとロジャーはやむなくスコットランド独立を認めます。ロバート1世の息子(後のディヴィッド2世、当時5歳)と娘ジョーン(当時7歳)とを結婚させることで両国間の平和を回復させようとしました。

これによりイングランドスコットランド内にほんのわずかな期間だけ平和が訪れます。

1328年にエジンバラノーサンプトン条約によりスコットランド王国が承認されます。

 

しかし、この結婚式の翌年に英雄王ロバート・ブルースは原因不明の病(ハンセン病の説が有力だが、脳梗塞、筋収縮性側索硬化症、乾癬、梅毒など様々な説があります。)でなくなります。

これによりスコットランドはこの歴史を知らない幼王ディヴィッド2世が即位することとなり、再びスコットランド史に混沌が訪れることとなります。

 

 


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参考資料

www.lvmh.co.jp

 

www.ballantines.ne.jp

 

 

ウイスキー文化研究所 ウイスキーコニサー資格認定試験教本 2018上、2015下

最後まで今回の記事を読んでいただきありがとうございます。

スコットランド独立の話いかがだったでしょうか

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