ジャパニーズウイスキーとは??100年ほどで世界に認められた国産ウイスキーの歴史と現状

本日もお越し頂きありがとうございます。

国産のウイスキーには「うれしさ」がありつつもあまりの価格高騰に複雑な心境のウイスキーを愛する料理人Yaffeeです。

 

今回のお話は

「ジャパニーズウイスキーとは?」

について

 

現在、モルトウイスキーへの関心が高まる中、日本中の各所で蒸留所ができています。

さらに2010年代に操業開始した蒸留所は続々とシングルモルトをリリース。

大きく話題となっています。

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僕の出身県『静岡』にももともとあった「キリン富士御殿場蒸留所」も含めて3つの蒸留所ができました。

静岡の名産が「ウイスキー」となるかもしれませんね!
すごく楽しみです!!

 

しかし、今そういった新しいウイスキーももともとあったジャパニーズウイスキーも異常なほどに価格が高騰

「限定品」であることや今までの定番商品の品薄からリリース直後から「投資」や「転売」の対象となり、
実際にウイスキーを飲まない人がビジネスのために買占めるといった現状も起きています。

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リリースしたらすぐに完売。そしてメルカリやヤフオクなどで平気で何倍もの値段で売られていることが多々あります。中には10倍近い価格になっているものも多いです。

はっきり言って「異常」です。

あくまで個人的な見解ですが、

このままいくと近い将来ジャパニーズウイスキーは大きく停滞するのではないかと思っています。

 

そんな国産ウイスキーの世界を歴史・製法・蒸留所から今の現状そしてなぜ『停滞する』と思っているのかまで、僕なりに解説させていただきます!!

 

ジャパニーズウイスキーとは??

 

ジャパニーズウイスキーとは、日本のウイスキーのこと。

竹鶴政孝や鳥井信治郎が「初の国産本格ウイスキー」を生産してから100年前後。

 

スコッチ元年(1494年)」や「アイリッシュウイスキー初の記録(1172年)」から見たら全然歴史の浅いジャパニーズウイスキー。

ウイスキーを作り始めてから100年程度で、世界から認められる「ウイスキー」にまで成長しました。

 

しかし今の国産ウイスキー市場を見てみると、一概に「日本国内で作られている本格ウイスキー」といえないのが現状です。

国産にこだわっている蒸留所は多いですが、はっきり言って「よくわからない『国産ウイスキー』」もたくさんあります。

 

中には、「モルト・グレーン5%未満」で「ウイスキー」の名を使っているものも……。

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個人的に見て、今ジャパニーズウイスキーは大きく二極化していると思っています。

とりあえず何でもいいから出して利益を上げたいところ

本格的なジャパニーズウイスキーを作ろうとこだわっているところと……。

そして当たり前ですが、残念なことに本格的に作っているところが「投資」や「転売」のターゲットとなっています。

 

そんなジャパニーズウイスキーの世界をまず、「歴史」から見ていこうと思います。

 

ジャパニーズウイスキーの歴史

日本で本格的なウイスキーが作られ始めて100年ほど。

 

ウイスキーの歴史から見てもかなり浅いのが「ジャパニーズウイスキー」です。

しかし、世界的な賞を数多く受賞。

コロナ前は、外国の方がジャパニーズウイスキーを求めて訪れていたほどです。

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僕の働いているバーラウンジでも、コロナ前は多くの海外からの旅行者が訪れていました。
様々な語学が飛び交い、全卓日本語が通じないという日も多かったです。また珍しいジャパニーズウイスキーや日本限定の高額ウイスキーも飛ぶように売れていました。

 

現在コロナによりウイスキーをサービスする飲食店(バーなど)にそういった流れはあまりありませんが、
ジャパニーズウイスキー界を見ると多くの蒸留所が誕生。

 

新勢力の蒸留所からどんどんウイスキーがリリースされ始めてます。

また、品薄状態となっていたジャパニーズウイスキー銘柄も入手できるようになってきたものは増えてきました

 

そんな100年で大きく成長・衰退・再成長があったジャパニーズウイスキー。

今回は、日本人とウイスキーの出会いから見ていこうと思います。

日本人とウイスキーとの出会い

 

日本人とウイスキーの出会いとして、初めて記録に残っているのはペリー来航時といわれています。

1853年、ペリー提督が率いた黒船にウイスキーが積まれていたそう。

そして日本で初めにウイスキーがもてなされたのは「琉球王国だそうです。

 

当時、「琉球王国」はアメリカから見ても日本ではなく別の国。

アメリカからすると「鎖国」していた幕府の前に、琉球王朝と条約を結んでおく必要がありました。

 

琉球王朝はペリー一行を手厚く歓迎。
そしてその返礼として船上パーティで西洋のあらゆるお酒や料理がふるまわれました。

その中には、スコッチウイスキーやアメリカンウイスキー、ポート酒、ワインもあったそうです。

 

その翌月、浦賀へと入ったぺリー一行は、交渉にあたった幕府の通訳(堀達之助)・奉行代理(中島三郎助、香山栄左衛門)らを船に招いて接待したそうです。

その席でもウイスキーはふるまわれたといわれています。

 

その翌年、日米和親条約が結ばれます。

そしてアメリカ側の記録には13代将軍徳川家定に1樽のウイスキーが献上されたそうです。

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日本初 本格ウイスキー製造へ

 

それから1871年、「猫印ウヰスキー」が横浜のイギリス商館カルノー商会によって輸入

これが日本に輸入されていたもっとも古いウイスキーといわれています。

 

【猫印ウヰスキーとは??】

当時ウイスキー市場は、スコッチよりアイリッシュの方が人気が高かった時代でした。
そして日本に入っていた「猫印ウヰスキー」もアイリッシュウイスキーだった可能性が高いそうです。

【詳しくは……】

明治時代徐々に欧米化が進む中で、日本人がウイスキーを飲む機会がどんどん増えていきました。

ただそのウイスキーのほとんどは「イミテーション・ウイスキー」。

 

ウイスキー原酒なんてほとんど入っていないアルコールに香料と砂糖を加えた「模造ウヰスキー」が販売されていました。

 

当時の主要洋酒メーカーは……

  1. 滝口倉吉の甘泉堂洋酒製造所(国内初のリキュールを製造)
  2. 神谷伝兵衛の神谷洋酒製造所(国内初のバーといわれる「神谷バー」)
  3. 小西儀助の小西儀助商店

当時多くの洋酒製造所は、薬問屋が扱うことが多かったそう。

薬とともに洋酒が販売されていたといわれています。

 

そして、③の小西儀助の甥にあたるのがのちに寿屋(サントリー)を立ち上げる”鳥井信治郎”

鳥井は、小西洋酒製造会社に丁稚奉公として働いていたそうです。

 

1888年、卜部兵吉が江井ヶ島酒造を兵庫県明石に設立。

この江井ヶ島酒造がのちに「ホワイトオーク あかし」を製造する会社です。

これらの洋酒製造所は日清日露戦争かの軍事需要で潤ったそうです。

しかし1899年、条約改正によってアルコール輸入税が重くなります。

さらに清酒保護政策により、洋酒は税法上の不利を招く結果となりました。

 

そのため、洋酒製造は薬種問屋から国産アルコール蒸留者の手に移っていきます

その一つが、のちに国産ウイスキーの父”竹鶴政孝”が入社する「摂津酒造」(大阪府住吉区)でした。

摂津酒造は1907年からアルコール製造に着手。
1911年からは、自社で製造したアルコールをもとにブランデーやウイスキー、ワイン、甘味葡萄酒などを委託製造していました。

1914年には、軍からの発注も受けています。

その摂津酒造のお得意先が、「赤門葡萄酒」の小西儀助商店や「ヘルメス・ウヰスキー」、「赤玉ポートワイン」の寿屋。

摂津酒造の社長”阿部喜兵衛”は自社の製品に誇りを持っていました。
しかし、到底輸入の「本物の味」にはかなわないと思っていました。

 

そのことは、摂津酒造常務の岩井喜一郎(のちに本坊酒造でウイスキーづくりを監修)と話していたそうです。

 

そんなときに岩井の紹介で入社してきたのが竹鶴政孝でした。

竹鶴は造り酒屋の三男。兄2人が酒造りを敬遠したことから、竹鶴は大阪高工の醸造科に進学。

そこから新しいお酒(洋酒)へ興味を持ち、大阪高工の卒業を待たずして摂津酒造へ入社しました。

 

竹鶴は当時から酒造りに大変熱心な男だったといわれています。

摂津酒造のベテラン突っかかってでもなんでも首を突っ込み、技術を盗んだり新しいことを試したりしていたそうです。

 

そんな中、竹鶴は、赤玉ポートワインの品質向上を実行。

残留酵母を殺菌し、炎天下でも瓶が爆発しないようにしました。

そのことが鳥井から評価されます。

 

そんな竹鶴を見た阿部は、竹鶴にスコットランド研修を提案。

竹鶴は英国留学を決め、1918年6月29日に旅立ちます。

7月19日にサンフランシスコについた竹鶴はワイン造りなどを学び、同じ年の12月にイギリスにリバプール港にたどり着きました

そしてグラスゴー王立工科大学に大阪高工の英文卒業証書を提示。外国人聴講生として入学を許可されます。

ただこの講義ではウイスキーづくりの勉強は深くまではできなかったそう。

ところが、この時に出会った恩師ウィリアムズ博士がJ・A・ネトルトン著『ウイスキー並び酒精製造法』をくれます。

竹鶴はこの本の翻訳作業に着手、擦り切れるまで熟読したそうです。

 

そんな時に大学の友達に誘われていったホームパーティで竹鶴の生涯の伴侶となる”リタ”と出会いました。

その後竹鶴は『ウイスキー並び酒精製造法』熟読しますが、本の知識では限界があります。

わからない箇所があるので本を書いたJ・A・ネトルトン本人に教えていただこうと会いに行きました。

しかし、本人からは高額な謝礼を吹っ掛けられ弟子入りを断念

 

その代わりに書物の中にあった「ロングモーン蒸留所」を訪れ、無給1週間を条件に実習の許可を得ました。

その後、ボーネストのグレーンウイスキー蒸留所やキャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸留所で研修を積みます。

 

キャンベルタウンに行くことが決まったとき、竹鶴は周囲の反対を押し切ってリタと結婚。

1920年、新婚生活とともにキャンベルタウンのヘーゼルバーン蒸留所での研修は始まりました。

 

の実習・研修中に熱心にノートと鉛筆をとっていった姿はスコットランド人から見ても印象的だったと思います。

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その熱心な姿が、ニッカウヰスキー2代目の時に思わぬ幸運を呼びます。

そのストーリーは『ベンネヴィス蒸留所』の記事をご覧ください!!

そしてこのノートがのちに国産ウイスキーの礎となる「竹鶴ノート」です。

 

その後国産ウイスキー造りの始まりを夢見つつ、リタを連れて帰国した竹鶴。

竹鶴に待っていたのは、「摂津酒造ではウイスキー造りができない」という現実でした。

 

第一次世界大戦後戦争特需といえる景気は衰退。

巨額の投資が必要なウイスキー造りは厳しくなっていました。

 

1922年、竹鶴は摂津酒造を退社。

竹鶴は化学教師を務め、リタはお金持ちの家庭へ英語とピアノを教える仕事につきます

 

そんな生活が続いたある日、リタと竹鶴のもとに現れたのが寿屋の鳥井信治郎でした。

信治郎もまた本格ウイスキーを夢見ていた一人。

 

スコットランドから技術師を招聘しようとしたとき、その過程で自分がよく知る「竹鶴」の話をよく聞いたため
竹鶴をスカウトしにやってきました。

 

そして1924年、完成したのが山崎蒸留所です。

試行錯誤を極めた国産ウイスキー造りでしたが、やっとの思いで完成したのが

国産第一号本格ウイスキーとなるサントリー ホワイト(通称:白札)です。

 

その翌年には「赤札」「特角」をリリースしましたが、ピートの効いた薫香のするウイスキーは日本人の舌に合いませんでした。

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今飲んでみるとかなり穏やかで程よい薫香なので、昔より穏やかになったのか新しい味すぎたのか……。
ただバランスが良く、コスパの高いウイスキーです。

 

1934年、竹鶴は寿屋を退社。

念願の自社蒸留所を求めてスコットランドに似た土地を求めて北海道の余市に工場建設を決意

そしてウイスキー熟成までの間、リンゴジュースを収入源にします。

さらに不良品となったリンゴジュースからブランデーを生産。

 

この時の社名が「大日本果汁株式会社」。のちにこの「大日本果汁」を訳して「ニッカウヰスキー」となりました。

1937年、寿屋から12年熟成のウイスキー「サントリーウヰスキー 12年(のちの角瓶)」がリリース。

このウイスキーが好評となります。

1940年、竹鶴は念願の「ニッカウヰスキー」をリリース。

一級銘柄の指定を受け、海軍の監督工場に指定されます。

 

しかし、時代は戦争へと流れていきました。

 

太平洋戦争が変えたウイスキーの流れ

1940年に海軍監督工場となっていたニッカウヰスキー。

1944年には山崎も陸軍の監督工場に指定されます。

そのため、原料に困ることはありませんでした。また、幸いにも空襲の被害も合うことはなかったそうです。

 

1945年、太平洋戦争終結。

その時からバクダンやカストリと呼ばれる密造酒が横行

また原酒が一滴も含まれていなくても3級ウイスキーとして販売できたため、再びイミテーションウイスキーの時代へと逆戻りしてしまいました。

そんな中1946年、「できる限り本物に近い味を味わってほしい」との鳥居信治郎の思いから、ぎりぎりまで原酒をブレンドした「トリスウイスキー」が発売。

1948年には酒税法が改正され、ウイスキーの等級が「特級」「1級」「2級」となりました。

 

 

高度経済成長とともに、ウイスキーに高級志向が芽生えてきます。

そして誕生したのが「サントリー オールド(通称:ダルマ)」です。

徐々に「サントリー オールド」はサラリーマンの憧れのお酒となっていきます。

 

 

広がりすぎた市場により国産ウイスキーの衰退

1955年に大黒葡萄酒が軽井沢蒸留所を創設

1973年には富士御殿場蒸留所

などウイスキー事業への新規参入が相次ぎます。

 

そして1970~80年代にかけて、未曽有のウイスキーブームとなります。

しかし、1992年業界が膨れすぎたためウイスキー需要は低迷

 

多くの新しくできた蒸留所は閉鎖となり、本坊酒造のマルスウイスキーも2011年まで操業停止となってしまいます。

 

「ハイボールブーム」・「マッサン効果」からの「クラフトウイスキーブーム」到来??

 

2007年ベンチャーウイスキーの秩父蒸留所が完成。

サントリー角からハイボールの需要が高まり始めます。

 

そして2014年のNHK連続ドラマ「マッサン」がスタート

このドラマが影響し、ウイスキー需要が増加。多くの国産ウイスキーが品薄状態となりました。

 

そして2016年以降、ガイアフローの「静岡蒸留所」や堅展実業の「厚岸蒸留所」・小正醸造の「嘉之助蒸留所」をはじめ多くのクラフト蒸留所が建設

秩父蒸留所につつく形となって続々とウイスキー蒸留所が誕生してきています。

 

ジャパニーズウイスキーの製法

 

ジャパニーズウイスキーは、まだ歴史の浅いウイスキー。

そのため、これがジャパニーズウイスキーという製法はまだ確立されていません

 

ただジャパニーズウイスキーの製造の大きな特徴は2点です!

  1. スコッチスタイルのモルトウイスキーが多い
  2. 一つの蒸留所で、多彩な原酒を作っていること。

 

スコッチの製法に基づいて作られているウイスキーが多く、スコッチの流れを汲んでいる蒸留所ほとんどです。

そのうえでスコッチと違うところは、一つの蒸留所で完結できるところが多いということ。

 

スコッチのように横のつながりもボトラーズ会社やブレンデッド会社もないジャパニーズウイスキーでは、一つの蒸留所で完結できる原酒の多彩さが重要でした。

 

そのため、一つの蒸留所で様々な設備があるものやグレーンウイスキーを作る連続式蒸留機まで持っている蒸留所も多いです。

 

ただスコッチやアイリッシュのように法で守られていない「ジャパニーズウイスキー」は規制がないので、今でもウイスキー原酒があまり入っていないようなウイスキーも数多く存在しています。

それが今までの現状でした。

ジャパニーズウイスキーの自主基準

 

そんな中、2020年日本洋酒酒造組合が「ジャパニーズウイスキー・国産ウイスキー」への自主基準を確立させます。

その自主基準の内容はこちら

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今現在のジャパニーズウイスキー蒸留所(随時更新)

蒸留所名会社名
北海道地区
厚岸堅展実業
余市ニッカウヰスキー
東北地方
遊佐金龍
宮城峡ニッカウヰスキー
安積笹の川酒造
関東地方
額田木内酒造
八郷木内酒造
秩父・秩父第2ベンチャーウイスキー

中部地方

新潟亀田新潟小規模蒸留所
新潟麦酒新潟麦酒
白州サントリースピリッツ
マルス信州本坊酒造
富士御殿場キリンディスティラリー
ガイアフロー静岡ガイアフロー ディスディリング
井川十山株式会社
三郎丸若鶴酒造
小諸軽井沢蒸留酒製造
知多サントリー知多蒸留所
近畿地方
長濱長濱浪漫ビール
山崎サントリースピリッツ
江井ヶ島江井ヶ島酒造
九州地方
尾鈴山尾鈴山蒸留所
嘉之助小正醸造
マルス津貫本坊酒造
yaffee
ウイスキーを作っているかどうかまだ怪しい蒸留所は、抜かしています。
情報が入り次第更新していきます。

今のジャパニーズウイスキー
これからのジャパニーズウイスキー

世界的な賞を受賞する銘柄が増えたジャパニーズウイスキーですが、
まだまだスコッチやアイリッシュに比べると発展途上なウイスキーといえると思います。

 

日本洋酒酒造組合がジャパニーズウイスキーの自主基準を設けたため、
今後徐々に「ウイスキーと呼べないジャパニーズウイスキー」はなくなっていくはずです。

しかし、法で守られているわけではないので、自主基準を守らない企業というもの出てくると思います。

 

また、今特にジャパニーズウイスキーは『ビジネス』として見られていることが多いように感じます。

それ自体は全く悪い流れではないですが、
「転売」などでメーカー希望価格を大幅に超える異常な金額で売買される流れは、はっきり言って「害」となるでしょう

『ビジネス』として見られていることが多い
今のジャパニーズウイスキー

 

今『ビジネス』としてウイスキーが注目されることが増えてきたと思います。

例えば、「ウイスキー投資」

ウイスキーはワインやビールのように劣化することが少ないお酒です。

保管方法だけ間違えなければ、半永久的にもちます

そのうえで、限定品のウイスキーやラベル変更前のボトルなどを保管しておくと、
10年・20年後には倍の価値になっていることは多々あります。

「株」や「FX」よりリスクが少なく、利益率がいい「資産運用」とも言えます。

ただ、高額転売や大量に転売する場合、「酒販免許」が必要です。
酒販免許がなく、転売を行うと「違法」となる場合があります。

 

yaffee

眠らせてから「オールドボトル」として販売するならいいと思いますが、リリースしてすぐ完売してから異常な値段で転売というのは、業界にとって「害」だと思います。

その人のモラルを問う問題なので、規制することは厳しいと思いますが……。

そして間違いなく僕の場合、買ったらすぐに開けて飲んでしまうので、絶対に投資や転売はできないです。(笑)

 

ほかにも蒸留所ができることで「村おこし」にもつながることがあります。

  • ウイスキー好きな人
  • ウイスキーに興味はなかったけど、地元に新しい蒸留所ができて気になり始める人

などなど

様々な方が蒸留所に訪れたり、地産地消のウイスキーなども研究され地元の農業が活性化したりと地域活性につながります。

 

そして、ウイスキーはやはり「憧れの酒」という面が強いお酒

サラリーマンにとって接待のツールに使われることも多々あります。

 

『ビジネス』として扱われるウイスキーの中でも、ウイスキー投資や地域活性・接待のツールとしてのウイスキーというのはいい流れではないでしょうか。

 

ただ『転売』に関しては、思うところがあります。

このままいくとジャパニーズウイスキーは『停滞する』??
なぜそう思うのか解説

「転売」自体を悪とは言いません。ちゃんとした「副業」の一つです。

 

ただ今のウイスキーの転売というのは、ウイスキーの異常な流れから起きていることです。

このまま何も規制されなかったら、一般の方のウイスキーへの不信感とウイスキー疲れとともに「転売」も衰退していくと思います。

「転売」により、根深くウイスキーへの不信感が残ってしまうでしょう。

 

例えば、新勢力の蒸留所がメーカー希望小売価格「6000円」で新しいウイスキーをリリースそしてすぐに完売となったとします。

そのウイスキーがリリース直後から見栄えなく、メルカリ・ヤフオク・楽天・アマゾンなどで「12000円」で販売されていたらどうでしょうか??

 

ウイスキーマニアでない限り、「12000円」の方が印象に残ります

そして多くの方は「なんでできたばかりのあの蒸留所は、こんな高い値段でウイスキーを売っているんだ」となるでしょう。

それが何度も続いたら、その印象が根深く残ってしまいます。

 

そうなってくると下手すると産声を上げたばかりの多くの新勢力蒸留所は、閉鎖となってしまう可能性も考えられます。

 

そもそも「目先の利益だけで顧客を考えていないビジネス」は、長く続きません。

長く利益を得るためには……

  • ユーザーにこういった体験をしてもらいたい。
  • このようなユーザーの悩みを解決したい。

というのが重要となります。

 

今のウイスキー転売にこれがあるでしょうか??

己の利益しか考えられていないからそのビジネスは今に衰退します。ウイスキー業界に大きな傷跡を残して……。

 

そうでなくてもブームの後には、必ず衰退が待っています。

1970~80年代のウイスキーブームの時もそうだったと思います

 

現にアメリカでつい最近(コロナ前)まで起きていたクラフトバーボンブームは衰退

多くの新勢力蒸留所がつぶれ始めていると聞きます。

 

またスコットランドでも3回以上も同じように新勢力の蒸留所がたくさん生まれては、ブームが去ってつぶれていくという歴史が繰り返されています

 

はやりすたりがあるのはしょうがないことです。

そんな中で、『ビジネス』としてウイスキーが扱われていくことや「資産」としてウイスキーが確立されていることは喜ばしいことですが、「転売」は業界の衰退を加速させてしまう可能性がある行為だと思っています。

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ただし「転売」によって「ウイスキー」という単語が露出する機会が増えたのは事実だと思います。
また「お金」が結びつくことで、ウイスキーに関心を持つ人は増えたでしょう。しかし、歴史を見ると「転売」のような行為がおいおい業界の首を絞めます。

最後に……

最後までお読みいただきありがとうございます。

今回のお話いかがだったでしょうか?

 

最後の方は僕の主張がメインだったと思います。お付き合いいただきありがとうございました。

しかし、歴史を勉強していくと、今のこの流れって似ているなと思うことは多々あります。

 

そして同じようなことが繰り返されるとこが多いです。。

 

はっきり言います。

僕個人の意見としては、ウイスキーブームが去っても構わないと思っています。

むしろ一度この熱くなりすぎた業界を冷ました方がいいのでは?とも思っています。

 

冷めた時に、

  • なぜブームが去ってしまったのか
  • どのようにしていればよかったのか

など考えるきっかけとなり、新しいシステムが出来上がっていくのではないでしょうか?

 

現にスコットランドのウイスキーの法律が出来上がったのも「ウイスキー不況」からです。

長い目でジャパニーズウイスキーが今よりも固く確立されていったらいいなと思います。

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それでは良いウイスキーライフを!!

また次回もよろしくお願いします。

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