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『プロフェッショナル 仕事の流儀』や『情熱大陸』が好きなウイスキー好き料理人Yaffeeです。
今回のテーマは「ウイスキーを飲みながら聞きたいスコットランドの偉人」について!
実は、後世にまで名を残すスコットランド出身の偉人が多いです。
しかも
誰でも一度は聞いたことのあるあの推理作家、
日ごろお世話になっているアレを発明したあの人、
幕末・明治初期の日本史にも登場するあの人、
などなど
結構名前を聞いたことのある人が多い偉人ばかり!!
スコットランドは世界的に見ても比較的古くから大学があったそう。
個人的な推測ですが、古くから大学という高度な学び所があったことが偉人の多い理由なのかなと思います。
そして今回は、その中でも特に有名な方々をご紹介させていただきます!!
ウイスキーを飲みながら「つまみ」読んでいただけたら嬉しいです。
ウイスキーを飲みながら聞きたいスコットランドの偉人たちの逸話
『シャーロック・ホームズ』シリーズで有名な小説家「アーサー・コナン・ドイル」
誰もが知っている名作小説「シャーロック・ホームズ」シリーズの著者。
もしこの名前にピンときていない人がいたとしたら、少年サンデーの名作漫画「名探偵コナン」を思い出してください。
名探偵コナンの主人公「江戸川コナン(工藤新一)」の名前は「アーサー・コナン・ドイル」と「江戸川乱歩」から来ています。(漫画「名探偵コナン」1巻1話参照)
実はコナン・ドイルはエジンバラ大学の医学部出身で元々は医者が本職。
医師として働く傍ら、患者さんが来ない暇な時に副業として小説を始めたのがきっかけだったそうです。
そしてその中で大ヒット作となった「シャーロック・ホームズ」のモデルとなったのが、エジンバラ大学の医学部時代の恩師ジョセフ・ベル博士です。
ちなみに「シャーロック・ホームズ」はウイスキーのソーダ割が好きだったそう。
いろいろとウイスキーのソーダ割を飲んでいる描写が作中にあります。
そんなホームズの好きだったハイボールを飲みながらホームズシリーズを見返すのも面白いかもしれませんね。
ウイスキーとホームズの内容や詳しいところはわかりやすく書いてくださっているサイトがありますので、よろしかったらご参照ください。
ホームズの飲んでいたかもしれない!?
ハイボールにオススメなブレンデッドウイスキーとともにいかがでしょうか??
『電話』を発明した「アレクサンダー・グラハム・ベル」
名前だけでは、まだピンときていない人は多いかもしれません。
グラハムは「電話」を発明した人。
今では生活に欠かせないものですよね。
グラハムは、幼少期から感受性が高く、学んだことはすぐ吸収していったのだとか。
12歳の時に母が聴覚障害なってしまいますが、グラハムは手話を習得し家族との会話を同時通訳していたのだそうです。
そして母の聴覚障害に没頭するあまり、音響学を学び始めます。
しかし、高校時代は欠席常習者で自分の好きなジャンルの勉強以外ほとんど勉強せず、学校の成績もあまりよくなかったそうです。
グラハムは15歳で高校中退します。
ただ祖父との生活で学問に興味を持ちだします。
そしてなんと16歳でエジンバラ大学に入学します。
エジンバラ大学で貪欲に研究をしていたグラハムに悲劇が襲います。
それは、自身の体調不良と弟の死の連絡です。
何とか、自分は回復するも
今後は3年後に兄が、結核で他界。
父も体調を崩したことで危機感を感じた一家はカナダに移住します。
移住先のカナダでグラハムは様々な研究をしてきます。
その中で1873年に協力者を得て出来上がったのが「電話」です。
2月14日に特許申請、3月3日に認可が下り、10日に電話の実験成功。
人類が初めて電話で話した内容はこの実験の時の
「ワトソン君、ちょっと来てくれ」だそうです。
電話で大成功を収めたグラハム。
それでも歩みを止めることなく、光を使って音や声を送る「フォトフォン」や「金属探知機」を発明しています。
ちなみに騒音のレベルや音の大きさを計る単位デシベルのベルはアレクサンダー・グラハム・ベルから取った言葉だそうです。
貪欲に探究する姿勢がこの偉業につながったんだろうなと思います。
人類初の抗生物質は、意外なところからの発見だった!?「アレクサンダー・フレミング」
青かびの中にペニシリンという世界初の抗生物質を発見した人物です。
実は、ペニシリンの発見は偶然の産物だったという説があります。
フレミングの研究室はいつも散らかっていたそう。
1928年のある日、フレミングはいつものように散らかっていた実験結果を片付けていました。
すると、黄色ブドウ球菌に汚染された培地に奇妙なことが起きていたそうです。
奇妙なこととは、汚染された培地の一部に生えていた青かびの周りだけ黄色ブドウ球菌に汚染されていなかったこと!!
この出来事を見たフレミングは、青かびから抗菌成分の抽出に成功します。
そしてこの抗菌成分を青かびの学名からペニシリンと名付けたそう。
これが世界初の抗生物質発見の逸話だそうです。
「散らかった部屋には驚きの発見がある」
散らかった部屋から人類初の偉業となる発見が生まれるとは……。
もしかしたら「最高峰の発見」かもしれないですね!
史上2番目の富豪となった鉄鋼王「アンドリュー・カーネギー」
アメリカで「鉄鋼王」と呼ばれる実業家。
1860年代のアメリカの花形事業「鉄道」に投資。
莫大な利益を得て、史上二番目の富豪となった人です。
また慈善活動家としても知られ、従業員の年金保障や大学や図書館の建設、カーネギー財団やカーネギー国際平和基金など様々なものに資金提供をしていました。
そしてカーネギーは、デュワーズの立役者「トーマス・デュワー」とも仲が良かったそう。
デュワーズがアメリカNo.1ウイスキーとしての地位の確立となったのには、カーネギーの力もあったそうです。
世界中のだれもが知っている!?タイヤメーカーの創始者「ジョン・ボイド・ダンロップ」
世界中のだれもが知っている大手タイヤメーカーの創始者。
農家の息子として生まれたダンロップは、エジンバラ獣医大学を卒業。
そのまま獣医の道へ進みます。
獣医として10年近くエジンバラで働いていたあと、ダンロップはアイルランド・ベルファストに移住します。
しかし、アイルランドへ馬車での旅は乗り心地最悪だったそうです。
当時、馬車の車輪は木や固形ゴム。
木や固形ゴムの車輪が、乗り心地の悪さにつながっていました。
「この不快感を何とかしたい!」ダンロップはこう思うようになったそう。
そしてダンロップは息子の三輪車のタイヤを空気入りタイヤに変え、実験をします。
すると、息子が空気入りのタイヤの三輪車で快適そうに遊んだそう。
その光景を見て思い立ったのか、ダンロップは空気入りタイヤで特許を取得します。
そして世界初の実用的な空気入りタイヤが誕生したそうです!!
日本の近代化に貢献した外国人実業家「トーマス・ブレーク・グラバー」
日本史に登場するほど有名な幕末から明治の商人。
商業鉄道が開始されるもっと前から蒸気機関車の試走などを行い、長崎を造船の街としての礎を築くなど日本の近代化に貢献した人物です。
また長崎の観光地グラバー園で知られていると思います。
ただし、
実は、日本ビールの育ての親の一人であることはご存じですか?
グラバーは、横浜にできた日本初のビール工場・スプリング・バーレイ・ブリュワリーの跡地にできた香港法人ジャパン・ブリュワリー・カンパニー(現KIRIN)の中心メンバーです。
ちなみにこの時、株主の多くは外国人実業家たちだったそう。
その中で、三菱財閥の岩崎弥之助は唯一の日本人株主として参加しています。
同社のビールから日本人がビールを親しむようになったという見方もあります。
そんなグラバーの経歴から
ウイスキーの有名ボトラーズ「アデルフィ」という会社から「ザ・グラバー」という名前のウイスキーがリリースされています。
キャラクターは、スコットランドのウイスキーと日本のウイスキー(羽生蒸留所の原酒)のブレンデッドモルトウイスキーだそう。
今では、プレミアがついているのでかなりお高いです。
ただし、今しか飲めないと思いますので、試してみたい方はお早めに!!
産業革命に大きく貢献した「ジェームズ・ワット」
蒸気機関の改良を行い、産業革命に大きく貢献した人物。
シェームズ・ワットの栄誉をたたえて力の単位をW(ワット)と名づけられました。
ワットの偉業は、ピストン運動でしか蒸気の力を利用することができなかった蒸気機関を歯車などに利用できる回転運動へと改良したこと!
ワットの蒸気機関で、今まで風車や水車を利用していたものすべてを蒸気の力で賄えるようになりました。
ワットの蒸気機関が多くの事業に影響を与えました。
影響を受けた産業の中には、ウイスキー産業にもあります!!
モルトなど穀物の粉砕、揚水や各工程に送るポンプの動力などなど。
19世紀のウイスキー蒸留所建設ラッシュ時には、ほとんどの蒸留所がワットの発明した蒸気エンジンを導入していたそうです。
ワットは、ウイスキー蒸留所の近代化にも間接的に貢献!!
人力で行っていた作業を、蒸気機関で行えるようになったことで、大きく生産性が増したと思います!
最後に……
最後までお読みいただきありがとうございます。
今回のお話いかがだったでしょうか?
偉業を成し遂げた人の逸話とウイスキー。
こういった楽しみ方の面白いのではないかなと思い、書いてみました!
ウイスキーを楽しんでいる皆様の「いいおつまみ」になっていただけたらと思います。
それでは良いウイスキーライフを!!
また次回もよろしくお願いいたします!!