年表で見るアイリッシュウイスキーの歴史|繁栄からの衰退、そしてV字回復

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最も歴史の古いウイスキーはアイリッシュウイスキー

 

今では、ウイスキーと言えばスコッチウイスキーやバーボンウイスキーが良く語られます。

特にスコッチウイスキーには数百年もの歴史がありますが、アイリッシュウイスキーにはそれよりももっと古い歴史があるのです。

 

過去には、スコッチウイスキーもはるかに凌駕するほどの人気を誇っていました。

一説によると、アイリッシュウイスキーの方がウイスキーのはじまりだと語られることもあります。

 

今回、アイリッシュウイスキーとアイルランドの歴史をまとめてみました。

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アイリッシュウイスキーともにお楽しみください!
目次

『アイルランド』について

アイルランドで作られているアイリッシュウイスキー。

その歴史を見る前に、アイルランドについて少しおさらいしましょう。

 

『アイルランド』は、グレートブリテン島の西側に位置する島

この島の中で、共和制の「アイルランド共和国」と立憲君主制で英国の一部の「北アイルランド」の2つの国に分かれています

アイルランド共和国

面積 約73000㎢(スコットランドより若干小さいぐらいの面積)
人口 約470万人
首都 ダブリン(人口約137万人)
宗教 カトリック約8割
元首 M・D・ヒンギス大統領
通貨 ユーロ
国花 シャムロック
守護聖人 聖パトリック

 

北アイルランド

面積 約14100㎢(一番小さい県の香川県より少し小さい面積)
人口 約188万人
首都 ベルファスト(人口約34万人)
宗教 プロテスタントとカトリックほぼ同数
元首 エリザベス女王
通貨 ポンド
国花 シャムロック
守護聖人 聖パトリック
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アイルランド共和国も北アイルランドも、もともとは同じ国家でした。ところが、アイルランド独立を機に分裂。今では別々の国家となっています。

 

アイルランドとアイリッシュウイスキーの歴史

紀元前のアイルランド

アイルランドに最初の住民が到来したのは紀元前8000~6000年と言われています。

 

紀元前3000年頃にアイルランドにケルト人が到達。

以降、ケルトの文化が根付いていきました。

 

紀元前1世紀末、ローマによるブリテン島を征服が始まります。

その時、ローマ軍はアイルランド島までは進軍しませんでした。

そのためローマの支配下にはならず、古代アイルランドでは100近い小国が乱立していたそうです。

 

ただ不思議なことに、それらの小国は文化面では、

  • 言語(ゲール語)
  • 宗教(ドルイドを中心とした自然崇拝)
  • 法律(ブレホン法)

など共有され、発展した民族だったといわれています。

 

キリスト教の布教

 

アイルランドは国教がキリスト教です。

古い時代からキリスト教が根付いていました。

 

ドルイドを中心とした自然崇拝だったアイルランドでキリスト教が布教した理由は、アイルランドの守護聖人・聖パトリックの布教活動が素晴らしかったからです。

聖パトリックは、自然崇拝をキリスト教に取り込み、古代の宗教とキリスト教のハイブリットを実現させました。

それによって、アイルランドの民衆からの信仰を集めることに成功。

 

それがよくわかるのが、アイルランドやスコットランドなどに残るケルト系キリスト教のシンボル「ケルト十字」です。

ケルト十字 ウイスキーの歴史

ケルト十字

聖パトリックが、ラテン十字に太陽のシンボルである円環を組み合わせたとされています。

これにより急速にアイルランドでキリスト教が普及していきました。

BC8000~6000年ごろ 中石器時代、アイルランドに最初の住民が到来したといわれている
BC5000~3000年ごろ 農耕と巨石文明がもたらされる
BC4~2世紀 ケルト系ゲール族がアイルランドで勢力を示す
432年 聖パトリックが福音伝道のため渡来(462年の説もある)
536年 聖コロンバが北アイルランドからスコットランドへ布教に訪れる。この頃、エールが記録
790年ごろ ヴァイキングの襲来が始まる
1169年 アングロ・ノルマン人の襲来が始まる。

イングランドの支配と穀物原料の蒸留酒の発見

1172年にイングランドのヘンリー2世がアイルランドに侵攻

以降、800年以上イングランドから支配され続けることとなります。。

 

この時にアイルランドでは穀物原料の蒸留酒が飲まれていたそう。

アイルランド侵攻時、イングランド兵士がアイルランドで「ウスケボー」という穀物の蒸留酒があることを報告したという記録があります。

ただし、当時の蒸留酒(ウイスキー)は蒸留したてをそのまま飲むか、干しブドウや果物、香料、スパイスで香り付けしたもの

今のように樽で熟成させて飲むものではなかったそうですが、スコットランドやアイルランドなどで穀物原料の蒸留酒が歴史に現れた最初の記録です。

 

アイルランドがウイスキーの発祥地といわれる理由はココにあります。

 

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「兵士からウスケボーの報告があった」という記録もだいぶ後になってから書かれたものです。情報として正しいものなのか怪しいところもあるので、スコッチ側では、否定的な意見もあります。

 

ところが、イングランド人から見た当時のアイリッシュウイスキー(ウスケボー)は、隣の島のよくわからない人たちが飲んでいる怪しい酒といった印象だったのかもしれません。

 

1171年 ヘンリー2世が来島し、アイルランドを征服。以降イングランドの植民地状態が続く。
1172年 ヘンリー2世の兵士が、土地の蒸留酒「ウスケボー」について報告したとされている。
1315年 スコットランド王ロバート1世の弟エドワード・ロバートがアイルランドに侵攻。ダブリンをはじめ多くの都市が破壊されたが、混乱に乗じてイングランドに占領されていた土地を取り戻す。
1316年 エドワード・カルピオンが発表した『アイルランド史(1633年発表)』によると「1316年の飢饉が起こったのは、四旬節(復活祭前の40日間で肉を食べてはいけない期間)に肉を食べ、アクアヴィタエ(蒸留酒)を飲んだための祟りだった」と記載。

アイリッシュウイスキーの全盛期

17世紀ごろ~産業革命が起こる18世紀まで、アイリッシュウイスキーは全盛期を迎えます。

この当時、ウイスキーといえばアイリッシュウイスキーのほうが人気が高かったそうです。

 

ロシア皇帝のピョートル大帝は、アイリッシュウイスキーを愛飲し、

「すべての酒のうちで、アイルランド産が最高である」

と賞賛していたという記録もあります。

 

ところが、1700年代~1800年代はイングランド政府からの酒税が高かった時代。

スコットランドと同じようにアイルランドにもたくさんの密造所があったといわれています。

yaffee
むしろアイルランドの方が多かったそうです。
アイルランドは特にイングランドへの抵抗心が強かったと言えるかもしれませんね。

 

1823年酒税法改正されますが、スコットランドに比べてアイルランドは政府公認蒸留所になったところは少なかったそうです。

それはイングランドへの反逆心が特に強かったからこそ、イングランドの公認蒸留所なんていらなかったのかもしれないですね。

 

ところが皮肉なことに、公認蒸留所が増えた1840年代からスコッチウイスキーがアイリッシュウイスキーの生産量を上回り始めました。

1494年 スコットランド王室財務係の記録に「アクアヴィテ(スコッチ)」が登場。
15~16世紀 ウシュクベーハー(ウイスキー)が一般的になる。スコットランド西岸で作られたアクアヴィテがアイルランドで取引されていた。
1608年 国王ジェームズ1世の代理人である北アイスランド総督からアントリムの領主サー・トー、明日・フィリップスに蒸留免許が与えられる。(アントリム州での蒸留業開始⇨ブッシュミルズ蒸留所が最古と謳う理由)
1661年 1644年にスコットランド議会によって課税されたアクアヴィテに続き、アイリッシュウイスキーにも課税。以降パーラメント(公認)ウイスキーとポチーン(密造)の2つに分かれる。
17世紀末 ロシア・ピョートル大帝が「すべての酒のうちで、アイルランド産が最高である」と賞賛
1757年 記録上、アイルランド最古となる蒸留所が創業(ブルスナ蒸留所、トーマスストリート蒸留所)
1759年 アーサー・ギネス、ダブリンのセント・ジェームズ・ゲート醸造所として創業。
18世紀中期 アイルランド全島に数多くの蒸留所が誕生する。
1780年 ダブリンにボウストリート蒸留所(ジョン・ジェムソン)が創業。
1784年 オールド・ブッシュミルズ蒸留所、登録蒸留所として正式に創業。
1789年 蒸留釜の規模別に課税が実施される。大きい釜ほど有利な税制だったため、生産施設の大規模化が進む。フランス革命。
1801年 アイルランド、イギリスに併合される。ポチーン(密造酒)全盛期。
1823年 酒税法改正。公認蒸留所が誕生
1825年 ミドルトン蒸留所が創業。世界最大、15万ℓ超の蒸留器を備える。
1829年 タラモア蒸留所創業
1831年 イーニアス・コフィの連続式蒸留機がアイルランド内で14年間のパテント(特許)取得。

イギリスからの独立

19世紀後半から20世紀初頭にかけてイングランドからの独立の気運が高まります。

1916年の「イースター蜂起」を機に一気に反英・独立戦争が勃発します。

 

結果、1922年に現在アイルランド共和国となっている地域がアイルランド自由国として独立

北部(現在の北アイルランド)がイギリスに残る選択をします。

 

しかし、この独立という選択がアイリッシュウイスキー界に悲劇を呼ぶこととなりました。

 

アイルランドの歴史を語る上で欠かせない「ジャガイモ飢饉」

1845年から49年にかけて起きたこのジャガイモ飢饉で、アイルランドに住む100万人以上の方が亡くなります

約800万人いた国内の人口が、250万人近くまで落ち込むこととなります。

 

なぜジャガイモの不作がここまでの被害となったかというと……

当時の農民たちが作っていた麦は、地代として納めるものでした。

yaffee
日本でいう「年貢」みたいなものだと思います

農民たちが口にできたのは、自給自足のジャガイモだけ。

つまりどの国よりジャガイモの依存度が高かったそうです。

そのジャガイモが大不作となり、農民たちは栄養不足、食糧不足による免疫力の低下により、伝染病で次々と亡くなっていきました

それは小さな町では、そのコミュニティが崩壊するほどでした。

 

現在のアイルランド全体の人口が660万人なので、まだまだこの飢饉の傷跡は残っているようですね。

移住した先は大体がアメリカでした。

そのため今でもアイルランド系アメリカ人が多くいます

つまりアイルランドはアメリカ依存が高い国です。それだけアメリカの影響を受けやすい国となります。

ここもアイリッシュウイスキー衰退の大きな要因となってしまいます。

 

アイリッシュウイスキーが衰退した理由

 

アイリッシュウイスキーが衰退した原因は大きく3つあるといわれています。

アイリッシュウイスキーについておさらいしたい方はこちら

連続式蒸留機の発明とスコッチブレンデッドウイスキーの誕生

1831年アイルランドのイーニアス・コフィが連続式蒸留機を発明し、特許を取ります。

コフィ自身、アイリッシュウイスキーの更なる発展を期待して発明・特許獲得したそうです。

ところが、アイリッシュウイスキー造りの職人たちはこの蒸留機に見向きもされませんでした。

 

当時スコッチウイスキーは癖の強いモルトウイスキーがほとんど。

スコットランド以外では全くといっていいほど人気なかったそうです。

 

ほかの国で人気のウイスキーは、アイルランドが作る穀物感とスパイス感がありつつスムースで比較的飲みやすいポットスチルウイスキーやモルトウイスキーでした。

 

アイルランドの蒸留所では、このポットスチルウイスキーに誇りを持ってました。

 

そのため連続式蒸留機で造るウイスキーに「よくわからない機械で造るウイスキー」って考え方があったようです。

 

 

コフィの連続式蒸留機に目をつけたのは、スコットランド・ローランドのウイスキー業者。

コフィ式蒸留機で、穀物原料のライトでクリーンなグレーンウイスキーを製造しました

 

このグレーンウイスキ―を癖の強いスコッチモルトウイスキーと混ぜ合わせると、飲みやすくも程よい癖を残す『スコッチブレンデッドウイスキー』が誕生しました。

アイリッシュウイスキーよりも飲みやすいスコッチブレンデッドウイスキーが徐々に人気が高くなり、ウイスキー界の不動の地位を確立していきました

 

対してアイリッシュウイスキーは逆にその市場を奪われてしまい、衰退の一途をたどっていきました。

 

アイルランド独立戦争

1916年の「イースター蜂起」により、アイルランドではイギリスからの独立運動が激しさを増していきました。

 

そして1922年、アイルランドはアイルランド自由国として独立すると北部はイギリスに残り、国は2つに分かれました

 

ところが!!

独立により大英帝国の商圏から締め出されてしまいます。

これによりアイリッシュウイスキーは大幅に市場を失うこととなりました

yaffee
当時の大英帝国商圏というと……
イギリス、カナダ、インド、オーストラリア、南アフリカ、ニュージーランドなどなど
世界各国に広がっていたすべての場所でアイルランド産の商品を売ることができなくなりました。

アメリカの禁酒法

ただ大英帝国の商圏から締め出され、さらにアメリカへの依存が高くなっていたアイルランド。

そんな時にアメリカで禁酒法が施行されてしまいます。

1920~33年のアメリカ禁酒法は、スコッチにも大きな影響を与えました。

ただアメリカ依存が強かったアイルランドは、特に被害を受けることになります。

 

禁酒法がきっかけとなり、ついに大量にあったアイルランドの蒸留所は2つ(ブッシュミルズ、ミドルトン)だけになってしまいました。

yaffee
さらにこの時にアメリカで、粗悪なまがい物アイリッシュウイスキーが横行。
アイリッシュウイスキー=「まずい」「質の悪い」といった印象が根付いてしまいます。
このアイリッシュウイスキーのイメージが、追い打ちをかけました。

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1840~50年代 全国で禁酒運動が活発化。酒場の数が減り、中小蒸留所の閉鎖が相次ぐ
1845~49年 ジャガイモ飢饉。100万人が餓死し、数百万人が新大陸(アメリカ)へ移民を余儀なくされる。1910年にはアイルランドの人口は半分ほどまで減少する。
1853年 穀物法の廃止。スコットランドではブレンデッドウイスキーが誕生する。
1860~80年代 フィロキセラによりブランデー不足に。スコッチブレンデッドとともに黄金時代の到来
1867年 コーク・ディスティラリー・カンパニー(CDC)発足。アイリッシュウイスキー企業化の先駆け
1878年 ジョン・ジェムソンなど大手4社がポットスチルウイスキーの純粋性・正当性を訴える冊子「TRUTHS ABOUT WHISKY」を刊行
1880年 スピリッツ法の制定。現行法の基準となる。
1887年 アルフレッド・バーナードの『The Whisky Distilleries of the United Kingdom』にてアイルランドの28蒸留所が取り上げられる。
1900年 アイリッシュウイスキーの生産量がピークとなる
1909年 アイリッシュウイスキーの定義づけが行われる。グレーンウイスキーもウイスキーと認められる。
1916年 イースター蜂起。
1919~23年 独立戦争、内戦。独立宣言。1921年には英愛条約に調印
1922年 アイルランド自由国憲法採択。南部26州、北部6州に分かれる。アイルランド製品が大英帝国の商圏から締め出され苦境に。
1929年 大手企業をはじめ、中小蒸留所が倒産に追い込まれる。
1933年 アメリカの禁酒法が撤廃されたが、市場を確保できずに衰退
1939~45年 第二次世界大戦。アイルランドは中立の立場をとったが、戦後も市場回復せず低迷。
1942年 アイリッシュコーヒーが考案される
1949年 アイルランド共和国宣言
1950年代 ロックス、コンバー、タラモアなど老舗蒸留所の閉鎖が相次ぐ

アイリッシュウイスキーの復活

経済が安定し始めた1972年頃、アイルランドに残ったすべての蒸留所が国境を越えて合併。

IDG(アイリッシュ・ディスティラリー・グループ)を成立します。

生産拠点を南の新ミドルトンと北のブッシュミルズの2か所に集結されました。

 

そして1987年に新しく第三勢力としてクーリー蒸留所が誕生します。

しばらくミドルトン、ブッシュミルズ、クーリーの3つの蒸留所がアイリッシュウイスキーを作っていましたが……

2007年にはキルベガン蒸留所が復活

そして2010年以降、マイクロ蒸留所がたくさんできていきます。

その中には……

  • クーリー蒸留所を立ち上げたティーリング氏の二人の息子が作ったティーリング蒸留所。
  • フランスのブランデーの名家カミュ家が手掛けたランベイ蒸留所

などなど

 

他にもアイルランドには怒涛の勢いで蒸留所が増えており、個性豊かな蒸留所ができています。

そういったところのウイスキーが徐々にリリースされ始めていて、これからアイリッシュウイスキーの人気が高くなっていくのではないかと思います。

1950年 アイリッシュウイスキー法施行(現行の元となる法)
1955年 国際連合加盟
1966年 ジェムソン、パワーズ、CDCが合併。IDC(アイリッシュ・ディスティラーズ・カンパニー)設立
1970年代 複数モルト原酒とグレーン原酒をブレンドしたアイリッシュブレンデッドウイスキーが作られ始め、主流となる。
1972年 テリー血の日曜日事件。イギリス、北アイルランドの直接統治。ブッシュミルズがIDCに合流、IDGとなる。
1973年 EC加盟
1975年 新ミドルトン蒸留所、操業開始
1985年 ギネスがアーサー・ベル者を買収。スコッチ参入
1987年 ジョン・ティーリングがクーリー蒸留所を創設
1988年 IDGがペルノリカールの傘下となる。
2000年 IRAの武装解除。
2005年 ペルノリカール社のアライド・ドメック社買収に関連し、ブッシュミルズ蒸留所がディアジオ社に移る。

最後に……

最後までお読みいただきありがとうございます。

今回のお話いかがだったでしょうか?

 

アイリッシュウイスキーはこれからどんどん伸びていくジャンルかなと思います。

現に今「没個性なアイリッシュ」という印象を破壊するような個性的なアイリッシュウイスキーも数多くリリースされています。

 

新しいアイリッシュウイスキーとともに知ってほしいアイルランドとアイリッシュウイスキーの歴史を書きました。

アイリッシュウイスキーは一度は栄光を掴んだものの大きな挫折を味わったウイスキーです。

そういった背景も知ると、アイリッシュウイスキーがより好きになるかもしれません。

 

ぜひ飲みながら楽しんでいただけたらと思います!!

 

それではよいウイスキーライフ!

また次回もよろしくお願いします!!

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この記事を書いた人

香りづけに使用したことからウイスキーにどっぷり嵌ってしまった料理人です。
調理師の仕事をしつつ、ウイスキーと料理の魅力を紹介するためにブログ・メディアを作成。
様々な視点からウイスキーを解説しています。

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