美味しいウイスキーにはアツいストーリー・エピソードがある!!

本日もお越し頂きありがとうございます。

昔NHKの「プロジェクトX」が毎週の楽しみだったウイスキー好き料理人yaffee です。

 

本日のテーマは『美味しいウイスキーにはアツいストーリー・エピソードがある!!』です。

 

 

面白い!!感動した!!など、

美味しいウイスキーには、それぞれにアツいストーリーがあります!!

 

その一つ一つを知るとウイスキーが美味しいだけではなく、より深いものになるというは僕だけではないはず。

実際に「マッサン」を見て、ウイスキーがより好きになりませんでしたか??

 

僕はニッカさんもサントリーさんも、もちろんウイスキー自体も好きになりました。

 

ただウイスキーにはほかにもたくさんのストーリーがあります!!

そこで今回は特に僕が好きなウイスキーのストーリーをまとめてご紹介します。

 

よりウイスキーに興味を持ってもらえたらとうれしいです。

 

隣の別荘は英国女王のものだった
ロイヤルロッホナガー Royal lochnagar

 

ジョニーウォーカーブルーラベルの主要原酒として有名なモルトウイスキー。

この蒸留所は1845年創業しました。

その3年後のお隣のバルモラル城を誰かが購入したという情報を聞きます。

創業者:ジョン・べグはそのお隣さんに自身のウイスキーをご紹介しようと考えます。

 

さっそく「一度うちの蒸留所に来ませんか?」といった内容の手紙を送ったところ……

翌日なんとヴィクトリア英国女王一家が訪問

 

バルモラル城は英国王室の夏の離宮として購入されたみたいです。

それ以前まではニュー・ロッホナガーと名乗っていたようですが、英国王室御用達をいただき、ロイヤルロッホナガーと改名。

親子三代にわたってロイヤルワラントをいただいたそうです。

 

ちなみにヴィクトリア女王はボルドーワインに数滴ロイヤルロッホナガーを入れるのが好きだったのだとか。

一度試してみたいですね。。。

 

 

 

ジャガイモ飢饉時に多くのアイルランド人を救った蒸留所
オーヘントッシャン Aughentoshan

 

オーヘントッシャンはスコットランドでは珍しい3回蒸留を行うモルト蒸留所です。

 

1説によると1800年頃にアイルランドからの移民がこの蒸留所を立てたといわれています。

 

もしかしたらローランド伝統の3回蒸留はアイルランド譲りかもしれないですね。

 

創業当初からずっと3回蒸留を守り続けていました。

 

1845年ごろになり、お隣の国アイルランドで「ジャガイモ飢饉」が起きます。

貧困が社会問題だったアイルランドは大打撃。

 

多くの人たちがアメリカやイングランドに亡命します。もちろんイングランドに近い、スコットランドのローランドも難民を受け入れます。

【ジャガイモ飢饉について詳しくはこちら】

 

その時にアイルランドのウイスキーに近い作り方のオーヘントッシャン蒸留所には、アイルランド人たちが押し寄せたそう。

 

オーヘントッシャン蒸留所は多くのアイルランド人を雇用。

アイルランド難民たちに職を与えたそうです。

 

ニッカウヰスキーがバブル期に買収した蒸留所。地元民の反応は???
ベン・ネヴィス Ben Nevis

ベン・ネヴィスはスコットランド最高峰の山からつけられた名前です。

 

1825年、「ロング・ジョン」の愛称で知られていたジョン・マクドナルドが創業します。

 

このジョン・マクドナルドは西スコットランド王国の領主の子孫。

19世紀には約230人もの従業員を抱える、当時にして大規模な蒸留所だったそうです。

 

ただ全員がウイスキーの製造にかかわっていたのではなく、製材所、工作所。

さらに蒸留工程で出てくる「ウイスキー粕」を餌に200頭ほどの牛を飼育する牧場も持っていたそう。

その分の従業員が必要だったといわれています。

 

しかし1890年代後半からのウイスキー不況が原因で、休止と再開を繰り返す蒸留所となっていまします。

1989年になり、スコッチ業界の渦中に入って様々な情報を仕入れようと、ニッカウヰスキーはベン・ネヴィス蒸留所を買収します。

しかし当時の日本はバブル期。

多くの日本企業が海外企業を買収していたため、日本は海外からあまりいい印象がありませんでした。

(今の中国みたいな……)

 

日本の企業が地元のウイスキー蒸留所を買収しては地元民から反感を買うだろう

そう思ったニッカウヰスキーはスコットランドにダミー会社を立てて、そこがベン・ネヴィスを買収する形にします

 

しかし、

すぐにニッカウヰスキーが買収したことがバレます!!!

地元民からの批判を恐れていたニッカウヰスキーでしたが……

意外にもニッカウヰスキーがベン・ネヴィスを買収したことに反感はなかったそう

 

逆に、

日本でスコットランドのお酒造りを本格的に作っているニッカウヰスキーが、俺らの地元の蒸留所を救ってくれた!!

と称賛されたそうです。

 

それにはノート一つでスコッチウイスキーのすべてを盗もうと真剣にウイスキーを学んでいった先代竹鶴政孝の存在、

その妻リタの存在が大きかったと二代目社長竹鶴威さんは語っています。

竹鶴政孝の長男、竹鶴威のスコットランド紀行。2002年7月下旬、5年ぶりに父 政孝の足跡を訪ねる。…

 

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視力を失った帰還兵の地所開発!!
ティーニニック Tininich

ティーニニック蒸留所は密造酒造りが盛んな1817年創業。

 

創業者は、土地の名士キャプテン・ヒューゴ・マンロー。

彼は1792年~1802年のフランス革命戦争に出兵しますが、戦地で視力を失ってしまったそうです。

 

帰国後、彼は自分の土地の開発に尽力します。

その一つがウイスキー蒸留所建設です。

 

さらに彼はウイスキー密造酒時代を終わらせることに貢献した人物の一人

国会の公聴会で証言するなど積極的に動き、酒税法改正に協力したといわれています。

 

そんなティーニニック蒸留所も今ではウイスキーの最大手ディアジオ社でも最大クラスの蒸留所となり、同社のブレンデッドウイスキーを支えています。

 

家族経営で守り続ける。こだわりのウイスキー
グレンファークラス Glen farclas

スコッチウイスキーの中でシェリー樽熟成のモルトウイスキーを造るエキスパートな蒸留所。

スコットランド最古の家族経営の蒸留所としても知られています。

 

1836年、ジョン・グラントが創業しますが、実は一度だけ共同経営をしたそう

 

1890年代三代目のジョージ・グラントは当時のブレンダーパッチソン・エルダーと共同経営を行います。

しかし、1898年グレンファークラスは倒産します。

 

この時ウイスキー業界全体が大打撃を受けるウイスキー不況が起きます。

グレンファークラスもその影響を受けたわけです。

 

何とか持ち直したグレンファークラスは「もう二度と外部の人と共同経営を行わない!!」と誓ったそう。

そこから完全に家族経営に。

 

1969年には、グレンファークラスはウイスキーの大手ブレンデッド会社のモルトから外されることになります。

 

しかしグレンファークラスはこれを逆手に取り、シングルモルト用のストックを増やし、シングルモルトウイスキーへのこだわりを強くします

 

他のボトラーズにもブレンデッド会社にも、樽のままウイスキーを一切販売しないというこだわりにつながりました。

逆にモルトファンから多くの支持を得ました。

グレンファークラスは失敗したことや不必要なものを徹底排除したからこそいまがあるのかもしれないですね。

 

自由で奇抜な発想でイタリアNo.1のブランドに
グレングラント Glen Grant

グレングラントは1840年ジェームズとジョンのグラント兄弟が創設しました。

兄のジェームズは法律など頭を使ったことが得意。法律家や政治家として活躍します。

 

弟のジョンは穀物商の傍らアベラワーで蒸留技術を学びます。

つまり兄は頭脳担当。弟は技術担当だったそうです。

 

その二人によって、グレングラント蒸留所はできました。

 

特に兄のジェームズはスコットランド・スペイサイドに鉄道を敷いた功績で貴族となっています

後にこの鉄道を使ってスコットランド以外で初めてシングルモルトウイスキーを販売したそう。

 

そしてこのジェームズの息子ジェームズ・ザ・メジャー・グラントが2代目に就任するのですが、

彼は典型的なカントリージェントルマン。人生を謳歌し、世界各国を遊び歩いていたそう。

 

しかしいざ就任すると、世界各国を渡り歩いた経験を生かして、自由で奇抜なアイディアを実践していきますが……。

最後に……
最後までお読みいただきありがとうございます。
今回のお話いかがだったでしょうか??

ほかにも「どうしてもラフロイグが欲しかった蒸留所」や「意地でも創業年にこだわった蒸留所」、「貧乏家族から一代で世界トップブランドとなった蒸留所」などウイスキーのストーリーは様々あります。

また蒸留所ごと詳しく解説していけたらと思います。

 

それでは良いウイスキーライフを!!

また次回もよろしくお願いします!!

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